常に完璧に導かれているという事実

金曜夜のLight Gathering(祈りとシェアのオープンスペース)について。

6月12日で終了となりました。

もしまた再開することがありましたら、ブログ上でお知らせしたいと思っています。

約1年間ご一緒してくださったみなさん、本当にありがとうございました。

たくさんの方が「みなさんのシェア、みなさんとご一緒できたことに感謝しています」とメールをくださっていました。そのことをここに置きたくて、こうしてブログを書いています。

わたしもまったく同じ気持ちです。一緒にいてくださって、本当にありがとうございます。

いま心に残っているのは「日常のほんの些細なこと」のシェアの中に大きなギフトが待っている、ということです。

そして、この1年間で、何度も何度もきくことになったのは「常に、全員、完璧に導かれている」ということでした。

『常に、全員、完璧に導かれている。すでに”正しい道”にいる。これは”事実”である。』

もしかしたら、最初のうちは「今日のお天気」「今日のラッキーメッセージ」くらいの感じで聞き流してしまっていたのかもしれません。

だからこそ「いや、そういうことじゃなくてね」と、何度も何度も「常に完璧に導かれている」ということを聞くことになったのかもしれません。

本当にみんな完璧に導かれた人生を送っています。

いま、これを、心からの言葉として、ただここに置けることをありがたく思っています。

ときには「全然導かれている感じがしない」とか「エゴなのか神なのか(恐れなのか愛なのか)わからない」とか、そういうこともあるかもしれませんが、みんな完璧に導かれています。

何か違うところがあるとするならば、その気づきがあるかどうか、ということだけ、

その気づきがあるかどうか。その知覚があるかどうか。それを感じているかどうか、

ただそれだけ。

そもそも”導きから外れる”とか”正しい道から道を踏み外す”ということ自体が、最初から不可能・・

1年近く、このことを見て過ごしていたような、そんな感じがしているのですが、このことについて、何度も疑問視、抵抗のようなものが出てきたようにも思います。

それでも、やはり、常に完璧に導かれていている・・

正直、わたしには「導きがない、与えられていないと思うようなとき」は何度もありますが、

みなさんと過ごす中で与えられていた、ありとあらゆる角度から届けられていたこの圧倒的な事実の方がリアルになりつつあるようで、いまは、もう少しこのことに耳を澄ませていたいような、そんな感じがあります。

それは同時に、無理矢理「わたしは常に導かれている」と言い聞かせようとする必要もないということで、「なんとかしよう」とする必要もない、何か「わたしがすること」があるとするならば、それは「雲の直視」だけのようです。

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