ブログをずっと読ませていただいており「物理的なものを求めることが祈りではない」ということや「物理的なことが自分の思い通りになることが奇跡ではない」ということなのかな、と理解しています。
でも、超正直にいうと「お金がほしいし必要だ」という思いがあります。そして、それについて、自分が具体的に何をすればいいかわからない、というような状態です。
決して経済的に裕福とかでもなければ、経済的に自立できているとも言えないとおもいます。
このことについて、なにかブログを書いていただけないでしょうか。
というリクエストをいただきました。
ありがとうございます。
そうですよね。
「物理的なものを求めることが祈りではない」
「神様はAmazonでもなければ、楽天市場でもない」
「物理的なこと、人や出来事や未来が自分の思い通りになることが奇跡なのではない」
このことは、たとえ「知的な情報」としてでも「そうなのか」と理解しておく必要はあると思います。
なぜかというと、それは「正しい行いをし、正しい思想を持ち、正しい聖人君子になるため」ではなく、
「心の声に、心の奥の奥にある何かに、耳をすませるため」そして
「空になったから補填する、空虚を補填する、というサイクルの疲労から心を解放し、真に満たされた心の状態、ほんとうの充足感を受け入れるため」だとわたしは思っています。
そして、奇跡は、想像できない・予測できないような素晴らしい善きことだからこそ、奇跡です。
過去のデータベースではない、素晴らしい幸せな善きこと。そのようにして、安心して「今この瞬間」へと心は開かれていきます。
そして、メールを読ませていただいて、
・「聖霊に、一緒にいてほしい。つながってほしい」と何度もお願いする
・なんでも聖霊に打ち明けること。「お金がほしい、必要だ」と思ったとき以外であっても、一日中。
を提案したいなとおもいました。
たとえば、
「聖霊、わたしはいまお金がほしい、お金が必要だと、思っていて、不安だし、焦りがあるし、苦しいです。けれども、わたしはこのことについて、具体的に何をどうしたらいいのかもわかりません。お金がほしい、必要だということについて、わたしはもう、自分ではどうにもできないようです。自分が本当に望んでいることもよくわかりません。聖霊、わたしはあなたに助けていただきたいです」
とか。
「聖霊、わたしは、お金がほしいし、必要だ、という思いがあります。わたしは経済的に裕福ではないから豊かではない、自由ではない、という思いがあるようです。そして、経済的に自立できていない自分はダメだ、経済的に自立しなければならない、という思いがあるようです。この思いを、わたしはどうしたらいいかわかりません。これが何を意味しているのかもわかりません。けれども、わたしは、心が楽になりたいし、心から安心したいし、このような思いを持つよりも、幸せな思いを持ちたいです」
とか、です。
お買い物に行くときにも「聖霊、どうぞ繋がってください」とお願いをします。支出や入金を確認するときも「聖霊、わたしと一緒にいてください。そしてこのことを一緒にみてください。わたしはあなたの助けが必要です」とお願いをします。
ちなみに。
このメールをくださった方以外にも「お金がほしい、必要」という【お題】はときどきセッションでも出てきます。
そして、ときどき「聖霊!お金がほしいからなんとかしなさいよ!」というような思いが出てくる、というお話をお聞きすることもあります。
わたしにも同じような経験がありました。けれども、
「聖霊!お金がほしいからなんとかしなさいよ!」という上から目線は、ダメ、というよりも、
自分が苦しくなるだけ、勘違いや誤解が深まるだけ、自己呪縛がますます深まるだけ、かもしれません。
なので、そういうときは、
「聖霊、わたしは、あなたにお金がほしいからなんとかしてほしい、という思いがあり、その思いをよく見てみると、あなたがなんとかしなさいよ、という上から目線のような思いがありました。わたしは、もしかしたら、自分でも気づかないうちに、聖霊のことを見下していたかもしれません。自分自身の愛のことも、見下していたかもしれません。このようなことについて、わたしはもう、どうしようもできません。けれども、わたしは、このように、聖霊を見下したくない、とおもいました。わたしはひとりではもう限界です。あなたに助けていただきたいです。どうか、力を貸していただけないでしょうか」
こんなふうに、お願いすることもできます。
どんな思いでも、そのまま、聖霊に打ち明けて、助けを求めます。
(これもまた、メールの方の話ではないですが)
「(別に自分は困ってないけど)せっかくだったら、お金もなんとかしてもらおうかな」というような話もきいたことがありますが・・・本当に困ってないなら、なんとかしてもらう必要はないはずなんですよね。
なので、本当に「別に困ってない」のであれば、
「聖霊、いますでに与えられている幸せ、豊かさ、自由に、心から感謝いたします」
「あなたが与えてくださった豊かさ、自由、幸せを、分かち合うために、今日わたしがすべきことをできますように」
「聖霊、わたしの心、わたしの身体、わたしのお金、わたしの人生は、すべて、あなたのものです。すべて、あなたにお返しいたします。どうぞあなたが、全宇宙の祝福のためにお使いください」
と祈り、受け取った導きに従う、というのも素敵かもしれません。
もし、恐れ・不足の思いが出てきたなら、それは奇跡の機会として赦しの光に捧げていくこともできます。
このようにして「聖霊に頼る。お願いをする。なんでもお話を聞いてもらう」うちに、
たとえ、「特に何か出来事があった」というわけではなかったとしても、
心に、つながりのような感覚や、親密さのような感じ、ハートの奥に感じるときめき、あたたかさのようなものを、感じる、ということがあります。
その心から溢れ出ているあたたかさは、特に意図せずとも広がります。
その心があれば、わたしはどこだっていける、どんなことにだって心を開いて、素晴らしいギフトとして受け取れる・・・
そんなふうにして、自分自身に、思い切り、受取許可を出していたことに気づいたり、あるいは、実はいままで受取許可をしていなかったのはわたしの方だったという優しくあたたかい気づきを受け取るかもしれません。