1. 生理的欲求
呼吸、食事、睡眠、排泄など、生命を維持するための本能的な欲求。
2. 安全の欲求
病気や事故から身を守り、経済的・心身ともに安定した環境で暮らしたい欲求。
3. 社会的欲求(所属と愛の欲求)
家族や友人、会社などの集団に所属し、仲間から受け入れられたい欲求
4. 承認欲求
所属する集団から認められたい、尊重されたい、自分の能力を発揮して評価されたい欲求。
5. 自己実現欲求
自分の持つ可能性を最大限に発揮し、「こうありたい自分」になりたいと願う欲求。
6. 自己超越の欲求
マズローの欲求階層説です。
生理的欲求。
衣食住で満足を得たい。健康でありたい。
安全の欲求。
安全な環境にいたい。経済的に安定していたい。良好な健康状態を維持したい。
社会的欲求。
家庭や集団を作りたい。どこかに所属したい。そうして満足感を得たい。
承認欲求。
自分が集団から存在価値を認めてもらいたい。尊重されたい。
自己実現欲求。
自分の持つ可能性を最大限に発揮したい。「こうありたい自分」になりたい。
マズローの欲求階層説を見ていると、人間にはこのような欲求があるものだ、という大きな受容を感じます。
なんだか、ほんとうに、大きな慈しみで、愛しまれているような、すべてを愛で包まれているような、そんな感じです。
そして、このような欲求がある、ということを、聖霊・イエスは「わかっている」のです。(「100も承知だ」と言っているのがきこえてきます。)
わたし自身「(わたしに必要、欲求、願い、個人的な好みや限界があることを)もしかしたら、自分よりもわかっているかもしれない」と思うことが何度もあります。
自分自身の願いや欲求を、自分で蔑ろにしてしまったり、無視してしまったり、「そんなことない、大丈夫」と奥の方に押し込めたり、ということも、あったかもしれません。
たとえば、結婚したい、新しいお家に引っ越したい、転職したい、仕事で評価されたい、綺麗になりたい・・・
そんな様々な「願い」の中にも、マズローの6つの欲求のどれかがあるのかもしれません。
ときどき「いまの自分のような状態で、このようなことを願うのは、身の丈にあっていないのではないか?傲慢なのではないか?」というお話を聞くことがあるのですが、
わたしは「それが身の丈にあっているのか、あっていないのか」の判断を、自分はできない、とよく思うんです。
ときどき「本心からの願いではなかったものは、自然と本当の願いに入れ替わる」ということもあるので、その願い自体が何を意味しているのかも、よくわからないな、とも思っていました。
そして、どんな願いであっても、このような「人間としての必要」があり、究極的には「自己超越の欲求」がある・・・。
「6.自己超越の欲求」については、自分は自我ではないと生きること、全体性への献身、貢献、一体性への欲求=祈りそのもの、と言えると思います。
生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、この”三角形のピラミッド”が誰にでもあるように、
その頂点、あるいは背景にある「6.自己超越の欲求」という神聖な願望も、誰にでもある・・・
マズローの欲求階層から、そんなことを感じました。
「わたしにはこんな願い、必要がある」とただ認めて、聖霊にゆだねること。
自分でなんとかしようとするのではなく、聖霊にゆだねること。
ゆだねる、というのは、愛を信頼する、ということ。
それは「受け取っていくこと」に欠かせないことなのかもしれません。