日記(執着−愛)

先日の朝、突然「鯛の昆布締め」が浮かんできた。

「鯛の昆布締めを食べたい」と思ったという感じではなく、「鯛のさくを手に入れて、鯛の昆布締めを作ろう」という感じでもない。

まるで『朝起きて、窓の外を見たら、不思議な形の雲が浮かんでいた(いつの間にか、消えていた)』というような感じだった。




そして、いつも通り一日が過ぎていく中で、ひょんなことから友人の家に行くことになった。

そのまま夕食までご馳走になることになった。

その日の夕食はカレーライスだそうで「すぐできるから、待ってて」と言われたわたしは、食卓のところで、ただ座っていた。

なんだか自分が子供のようだ、と思った。

そして「わたしはただ座ってばかりで、何もせず、何かしてもらうばかりで申し訳ない」という考えが出てくる。

その考えが流れてくる様子はまるで「10代の頃はまっていた、懐かしいBGM」のようだと思う。




「BGM」が流れるままにただ座っていると、来客があり、友人は玄関へと向かっていった。

友人が「わぁ!」と声をあげている。

何があったんだろう、と気になる。




数分後、友人が、魚をまるごと一匹、持って戻ってきた。

「釣れたからって、持ってきてくれた」という。

「鯛?」と聞くと、そうだ、という。

「前ももらって、そのお返しもまだなのに。何かお返しをしなきゃ。でも何をお返ししたらいいだろう。〇〇さんは食事制限をしているらしいから、甘いものはダメだし。何がいいと思う?」と友人。




そのあと、カレーライスを食べて、片付けをして、鯛は捌かれた。

わたしは「昆布締めにしたい」と言って、一部は昆布締めになった。

「朝のあれ」がなかったら、わたしは「昆布締めにしたい」とは言わなかったかもしれない、思いつきもしなかったかもしれない、その可能性は十分にあっただろう、と考えるとなんだか不思議な感じがする。




一部はすぐに刺身で食べることになった。

「なぜこんなに美味しいんだろう」と思いながら食べていると、友人が「なにがこんなに美味しいんだろう。カレーライスや牛肉のようにしっかり味がするわけでもないのに」という。

「なんでだろうね」と言いながら、意識が味覚に向かう。

コリコリとして、ねっとりとした食感で、脂身なのか、なんなのかが、溶けていくような感じがする。

味は言葉にすることができないような、掴めそうで掴めないような感じ。

それを感じていると、心に透き通って、清らかで、豊かな、海が広がっていった。

「ノイズがなく、そのままの海を感じられて、すぐに満足してしまった」と言いたくなる感じ。

もっと食べたいとも思わないし、もっとこうしたらいいとも思わない。

あっという間に、静けさで、ひたひたに満たされて、動けなくなった感じ。




最後に友人が卵酒を作ってくれた。

わたしの曽祖母にとって、卵酒はカクテルではなく風邪薬だったらしいということを思い出す。

そして、その日は泊まらせてもらうことにした。

「空白の時間」を一時間くらいすごしたあと、いつもよりも早く寝た。




そして、いつもよりも、早く起きた。

子どものようにぐっすりと眠った、と思う。

大雨が降っていた。

布団の中で、身体が床に吸い込まれていくような重さを全身に感じていた。

反射的に「身体が重い、昨日ひさしぶりにお酒を飲んだからなのか、雨が降っているからか」という考えが浮かんできて、その「考えたちの行列」を見送っていた。

そうしてるあいだに、どこまでも延びて広がっていきそうな、深い休息への甘い誘いのような、寛ぎのような、安堵のような感じがあらわになっていき、いつの間にかその「重力」が心地よく感じられていた。
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