「本音」「本音」の定義

迷いや後悔、が生まれてくるとき、本音・本心の輪郭が曖昧な状態といえます。

「迷いや後悔がある」「もやもやする」「なかなか行動に移せない、行動に移したいのに移せない」ようなときとは、

一時的に本音と本心のチャンネルが閉じているサインでもあります。

閉じているだけであって失われているわけではありません。

この記事では「本音」「本音」という言葉の定義(心と向き合う上での・ここでの層としての定義)についてまとめました。

日常の場面では、表層的な判断や感情の層を「本音」と呼んでいることもあるようです。

表層|思考の判断層

「したい/したくない」「できる/できない」「好き/嫌い」「良い/悪い」「すべき/すべきでない」などの思考的・反応的な判断の層。

ここには条件づけの愛や恐れ、期待も含まれる。

第1層:感情の層

「いやだ」「悲しい」「こわい」「さみしい」などの感情反応が現れる場所。

思考よりも素直ですが、まだ心の防衛反応、恐れを含む。

※ここでの「心の防衛反応」は奇跡講座的な意味で書いています。奇跡講座での「防衛」は、分離の幻想(罪悪感・恐れ)を維持するための心の働きのことを指しています。

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第2層:本音の層

「本音」とは、「本当はどうありたいか」「本当は何を望んでいたか」「何を大切にしているか」という、

心の深層から静かに響いてくる声です。

それは、判断や比較から生まれるものではなく、自然な流れ・自然な方向性に沿った動きです。

外向きの意図ではなく、内向きの意図。

他人軸的な声ではなく、自分軸的な声。

「したい・したくない」「すべき・すべきでない」を超えて、ただ「そうであること」に安らぐ感覚。

そこには、頑張って選び取るというよりも、

もともと知っていた静かな何かに気づくようなやわらかさがあります。

第3層:本心の層(魂の声、本当の自分自身との一致

あえて言葉にするなら、個人的な願望や意志を超えて、大いなる意志とひとつになる感覚。

ここでは「本音」さえも透明に溶けている。

奇跡講座の実践では・・・

本心、本音と「どうやってつながるか」を学ぶのではなく「つながりたくないという自我の意図」を手放すことに焦点が置かれています。(なぜなら、本当はすでにつながっているからです。)

そして、それを可能にするのが「意欲(「本心とつながりたい」「本当の自分と出会いたい」「自分でなんとかするのではなく聖霊に、光に、導かれたい」と願うこと)」といわれています。

本音=個人としての真実

本心=存在としての真実

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