わたしたちは日々、さまざまな声に囲まれて生きています。
インターネットニュース、SNS、テレビ、世間の常識や文化、両親、先生、上司、メンター、書籍・・・
そして、ときにそれらの声を鵜呑みにし、そのあとで「あの人が言ったから」「その通りにしたのに」と、心の苦しさや重さを、外の誰かや出来事のせいにしてしまうことがあります。
けれどもその「他責の声」は、ほんとうは「わたしが形を頼りにしてしまった」という小さなサインです。
そのときの心の苦しさや重さ、モヤモヤは、光の存在からの「戻っておいで。そして、あなたの中の真の響きにチューニングしなおしなさい」という優しいメッセージかもしれません。
このお祈りは、外の形に頼る心をやさしく解き放ち、あなたの中でいつも響いている真理と平安の声に周波数を合わせるためのお祈りです。
インスピレーションにチューニングするための”基礎練”にもなります。
お祈りします。
聖霊
わたしが誰かの言葉や教え、メディアや世の中の声、文化や情報に触れるとき、
その形の背後にある内容・・・愛、真理、平安・・・を見分ける心をお与えください。
わたしが形を頼りに従おうとしているなら、それが恐れや依存の選択であることを優しく気づかせてください。
そして、心が苦しく、どんよりと重く感じるとき、もやもやするとき、その違和感をあなたからのやさしい呼びかけとして思い出せますように。
それは、わたしが真理ではなく形を信じようとしているというサインです。
その気づきの中で、わたしは再びあなたの静けさに戻ります。
その一方で、ある言葉や一節が、わたしの心に静かに響くとき、それがあなたの声であると認め、
「わたしの中の光が、兄弟の中の光と応答している」と思い出せますように。
わたしは形にではなく内容に従います。
他責の声ではなく内なる教師に耳を傾けます。
たとえどんな形が現れても、そのすべての奥にあなたの愛の導きが働いていることを信頼します。
真の導きとともに歩むことを、今ここで選びます。
あなたの優しい導きに感謝します。
ありがとうございます。
短いバージョン
聖霊、わたしが外の情報を頼りにしてしまうとき、その奥にある愛の導きを見分けられますように。
(外の情報の例)
テレビ、インターネットニュース、SNS、有名人やインフルエンサーの言葉、情報・・・
世間の常識や文化、「こうあるべき」と言われる文化的メッセージ、社会が「普通」「成功」と呼ぶ価値観、流行や世間の空気・・・
両親、先生、上司、メンター、カウンセラー、大好きな人、大切な人、尊敬している人の言葉・・・
過去に聞いたこと、厳しく教えられていたことでも、最近聞いたことでも・・・
心に重さや恐れを感じているなら、聖霊が「わたしはここにいるよ」と心の奥から語りかけてくれているときかもしれません。
反対に、心に響いたときは、それはあなたが形を超えた内容(愛、光、真理)を受け取った、真に受け取ったということかもしれません。
「わたし」が、他責の声を教師にするか、心に響く優しい導きを教師にするか、どちらを受け入れるか・・・です。
※お祈りの中の「真理」は「愛、直感、インスピレーション、内なる声、聖霊の声、神さまのメッセージ」などに置き換えてもらっても同じです。