「どうにかしなきゃ」というとき、一人で抱えない具体的ステップを考えてみます。
「意味がわからない」ままでも大丈夫ですが、以下のことをただの可能性として受け止めてみることもできます。
一人で抱えないステップ
「この状況をどう解決すべきか、わたしはわかっていない」と認めること。
これが第一歩です。
「どうにかしなきゃ」「なんとかしなきゃ」という思いがあるとき、その中には「こうなれば解決だ」という「自分なりの正解(コントロール、期待、願い)」がすでに含まれています。
それが悪いわけではありませんが(良いというわけでもありませんが)、この「正解(自分なりのこうなれば解決だ)」を握りしめている限り、一人(孤独感)からくる恐れや不安や絶望は、「とき・場面・相手」を変えて、繰り返されます。
心が苦しかったり、嫌だと感じているなら、それは”真の解決”に心を開く機会かもしれません。
「どうにかしなきゃ」「なんとかしなきゃ」「なんとかしたい」というとき、たとえば、このように心の中で宣言することもできます。
神さま
わたしはこの状況をどう解釈し、どう動けばいいのか、本当はまったくわかっていません。
わたしは、正解よりも幸せを望むので、「自分の判断」を信じ込むのをやめて、あなたの導きを信頼することを選びます。
これは「何も考えず、何も行動せず、ぼさっとしていること」ことではありません。
「恐れからくる必死の行動」を止めて「心の平和からくる静かな行動」を受け取る準備をすることです。
たとえば、このように心の中で宣言した上で、自分一人で出した答え(=絶望や恐れ)を疑っていくこともできます。
「判断したり、正しくあることが心地いい」「外に正解を求め続けるのが心地いい」というときは無理する必要もないかもしれませんが、
「もうどうしたらいいかわからない」「どうしたらいいの」「どうにかしなきゃ」というようなときには、このようにして、ジャッジメントやコントロールを手放して、神聖な存在に明け渡していくこともできます。
※参考:奇跡講座