「インスピレーションが降ろすことができないとき」とは

境界線・バウンダリーとは、一言でいうと

どこまでが「私の選択」でどこからが「相手の選択」かを自分の内側で区別できている状態のこと。

ここでの境界の認識は「あなたはあなた、わたしはわたし!」と壁を作る感じ、線を引くテクニック、攻撃から身を守ることではなく、すでにある安心に気づくための視座のこと。

「別々ですと分ける」というより「(あなたもわたしも)尊重されている存在」という感じ。

この世界においての境界の区別が曖昧なまま放置していては、「インスピレーション」も「光」も「ワンネス」もこの地上に降ろすことができなくなる。

これは「その人が持ってる問題」とか「悪気がある」ということではなくて、思っている以上に非常によくあることかもしれなくて、無自覚なままになってる癖のようなもの。

区別がないままだと起きやすいこと

① 愛が「侵入」になる

  • あなたのためを思って
  • 相手の成長のために
  • ワンネスだから、愛だから

という理由で、

  • 相手の選択を奪う
  • 相手の境界を越える
  • NOを無視する

愛が自覚ないまま支配に変質する

② 愛が「自己犠牲」になる

  • みんな一つだから
  • 私が我慢すれば
  • 境界は幻想だから

などの解釈で、

  • 自分の疲労を無視する
  • 無理を続ける
  • 怒りや違和感を抑圧する

愛が自己否定になる

③ 愛が「言葉だけ」になる

  • 関係性が歪んだまま固定される
  • 行動できない(行動しないというよりできない)
  • 決められない(決めないというより決められない)
  • 迷う

→ 心・スピリチュアリティ・ワンネスが現実逃避になる

境界があるとき、愛はどう現れるか

境界がある=分離、ではなく、

境界とは、この世界のルールの中で責任と選択が正しく配置されることを許すこと

それができて初めて、

  • 助ける/助けない
  • 関わる/関わらない
  • 与える/受け取らない

が、自由意志として成立されていく。

境界が理解されているときほど、

距離があるのに、つながっている

という状態になる。

区別ができていない状態はワンネス以前の混線

境界がある状態はワンネスが現実で作用できる土台

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