メモ

・「幸せになる」のではない。「もっと幸せになりたい」でもない。「完全な幸せ」はすでにある。認識の話

・「幸せになりたい」の認識(レンズ)なら、誰でも「目の前にぶら下げたにんじんと走り続けるわたし」を経験する。それ自体は悪いわけでも、劣っているわけでもない。レンズは選べる

・「嫌だ」は目的地ではない。でも、嫌だの先に光がある。だから「嫌だ」は無視しない。「嫌だ」のまま暴走もしない

・「わたしはすでにある光と一致したいんです」という思いは魔除けになる。光への道のりが光になる。

・「犠牲は善きこと」という信念の中にいると、意図せず相手に犠牲を要求してしまうことがある。「犠牲を要求されたわたし」は嫌だと感じて人として当然。

・「がんばるのは善きこと」の中にいると、「わたしはこれだけがんばってるんだから、あなたもがんばって当然」とみてしまうことがある。「がんばらないといけないわたし」は嫌だと感じて人として当然。

・「兄弟をゆるす」とは「兄弟をこのように見ることにした自分をゆるす」ということ。「このように見ることにした」の「このように」とは「光そのもの以外として見ることにした」ということ。

・ゆるしとは「自分自身に優しくある」ということ。「本当の意味で優しくある」とはなんでしょう。ぐちゃぐちゃに丸めた紙の表面だけ光に照らすのではなくて、そのくしゃくしゃに丸めた紙を、少しずつ、優しく、広げて「その隅々まですべて癒しの光で照らされてもいいです」ということ

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