怒りは光への入口(2−2)──責めなくていい「正当な怒り」の理解

前回の記事の続きです。(前回を読んでいなくても大丈夫です。)

ここに掲載するのは、わたし自身も長い時間をかけて試してきた「感情を感じ切るワーク」の一側面を言葉として整理したものです。

ただし、もし、このワークが苦しく感じられる場合は、
無理に行う必要はまったくありません。

ワークはひとつではありませんし、
浅く触れるだけでも十分です。

自分の内側の感覚を尊重しながら「いまの自分にとって安全で優しい距離」を選んでください。

自分自身を急がせず、小さな優しさを練習するところからはじめていきます。

怒りを感じたときのやさしいプロセス

光へ戻る前に、
まず「身体のわたし」と「心のわたし」が安全を感じるスペースをつくることが大切です。

Step 1|怒りを責めずに「ただある」と認める

「ここに怒りがある」「あっていい」「感じていい」
といってあげる。

※認めることは、怒りを拡大するのではなく、エネルギーを穏やかに落ち着かせる最初のステップです。

Step 2|身体のセンサーに寄り添う

胸・腹・のど…
どこにそのエネルギーがあるかを静かに見守る。

Step 3|境界線が破られたかどうかを丁寧に見る

“光のわたし” の視座ではなく、
“身体のわたし” の立場で地に足をつけて確認する。

光の視座に飛ぶ前に、現実の安全を確認することが大切だからです。

Step 4|怒りの奥にある本心・痛みがふわりと浮かぶ

悲しみ、無力感、恐れ、すれ違い…

それらは押し込まれてきた「光のかけら」。

その痛みが浮かぶのは、そこに「光が届こうとしている部分」があるからです。

Step 5|その痛みごと、静けさにゆだねる

ここで初めて「光に戻すワーク」が自然に起きる。

怒り→境界線→痛み→光
という自然な順番を尊重することが、
もっとも優しい「光への道」です。

順番を飛ばすと心は不安や混乱を感じてしまうため、この順番がもっともやさしい道なのです。

怒りは光と分離した証拠ではなく光への入口

怒りが湧くと、
「私はまだ光と一致していないのでは?」
と自分を裁きたくなることがあります。

けれどもLight Remember の視点では、

怒りが浮かぶのは光が近いから。
心の解放、そして、真の自由への準備が整ったから。
光に触れる寸前だからこそ、分離の痛みが浮上するのです。

怒りは「光の入口」。
自分を責めてるためのものではなく、
「重荷としての責任」を背負わせるためでもなく、
光に戻るための導線。

怒りを尊重することで、
静けさの中心へ自然に戻っていく道が開きます。

まとめ:怒りはあなたを光から遠ざけるのではなく光へ戻すためのランプ

怒りを敵にしないでください。

怒りは本来の尊厳と光を守るための大切なセンサーです。

怒りを正当化する必要も、否定する必要もありません。

ただ「知らせ」として受け取り、

身体→境界線→痛み→光

の順番で優しく扱えば、
自然に静けさへ導かれていきます。

怒りは攻撃ではなく、
あなたの光が「ここに戻っておいで」と灯すランプ。

その知らせに耳をすませるとき、
あなたの中の静けさは深いところから息をしはじめます。

おまけ:マントラ

光のマントラがあります。

心で唱えてみて──

心がほっとするもの
胸の奥がやさしくゆるむもの
じんわりとあたたかくなるもの

──があれば、それは、光が「これ」と知らせてくれているものです。

●静けさへ戻る

怒りもわたしの光の一部。
この瞬間、静けさに戻ります。

●境界線・バウンダリー

わたしの尊厳を守る声、そして、やさしく見つめる力をください。

●痛みと光をつなぐ

この怒りの奥の痛みも、光にそっとゆだねます。

●「海のわたし」へ戻る

怒りの波も、わたしを海の中心へ連れ戻してくれる。

●受容

感じていい。ここにいていい。