「経済的不安」だけでなく、実際に「経済的な事情で」というお声もいただくようになり、わたし自身、どうするのが一番いいか、ずっと祈り続け、考え続けてきました。
今、今まで、わたしが思ってきたことを、そのままに書いてみたいと思います。
まずは、今思い出すことを・・・
わたしは、過去に、自分自身の「経済的状況、そして、不安」について本気で向き合っていたことがありました。
そのとき「お金、経済、行動、能力」というところと、「内面」を分けて向き合ってきました。
その頃のわたしは、変化を恐れていることにも気づいておらず、不満を持っていることにも気づいておらず・・・という状態も長かったと思います。
でも、同時に、わたしは救いを、心を苦しみから解放することを、心から求めていました。
その頃のわたしは「経済的な理由」もあり、一人きりで内面と向き合っていました。
そして、この「一人で内面と向き合う」ということは、「誰かに会いにいきたい、学びたい、助けてほしい」という元気へと、つながっていきました。
「自分自身と向き合う」といっても、ただ闇雲にやったって迷走するだけです。心からの幸せや平和を望むなら、救いを望むなら、いくつか受け入れるべき掟、方向づけは必要ですし、「一人」ではどうしたって、盲点が出てきます。
あの頃のわたしは、直感があっただけで、全然言葉にできていませんでしたが、今、言葉にしてみると、こういうことだったんだと思います。
そして、わたしは、不思議な出会い(思わず神の采配と言いたくなるような出会い)に恵まれ、癒し、自己探求を助けてくれる方たちの助け、助言を受け取ってきました。
このときことは、今思えば、わたし自身がわたしの中にある行動する勇気と出会った、と感じます。
わたしは、もう本当に、どうしたらいいかわからないというほどでしたから、そのときは、とにかく、もうわけのわからないまま、一つひとつの助言、心に響いた言葉に従ってきました。
「一人きりで、内面向き合う」ということは「誰かに会いに行きたい」という元気へとつながりました、と書きましたが、
このことは、
「人と人のつながり」というよりも、
「人の中にある光と、人の中にある光のつながり」
ということだったんだ、これが真の豊かさだったんだ、と、今は心からそう感じています。
「この光を受け取ること、感じていくこと、見ていくここと(そして、それが、同時に与えていくということ)」
このことは、奇跡講座に出会って、明確になったというか、「そういうことだったんだ」と、ハッとしました。
実際に、わたしは「(変化への恐れやためらいがありながらも)勇気を持って行動する」
「教えてもらっていることの意味がまったくわからなくても、わたしの心に感じるもの、光の助けを信頼して、自らそうする」
「わたしがわたしの心の幸せと平和ために。そして、それが、すべての心の幸せと平和とつながることを、思いながら」
ということは、わたしにたくさんの奇跡を与えてくれました。
このような、過去に経験した「奇跡としかいいようがない出来事」は、わたしにとって「感覚的なもの」で、長い間、言葉にすることに躊躇いがありましたが、あえて言葉にするとするなら、こんな感じです。
この頃、奇跡講座には出会っていませんでしたが、今、振り返ってもそう思います。
あの頃のわたしは、どう考えても「経済的な事情が」という状況だったのですが、心と向き合いながら、自分自身の思いを大切にしていくこと、学んだことをわからないまま「どうやらそうらしい」「かもしれない」「もしそうだったら」と心を開いていくことで、
「経済的な事情で困っていたわけではなかったのでは?」「わたしは、もしかしたら、経済的な事情というより、ただ不安だっただけでは?」と思うほどに、
自然と「道が開けてきた」というような体験がありました。
それで、継続コースでも「経済的な不安が」とおっしゃる方には「内面的なのところ」を一緒に見つめることがよくありましたが、多くの方から「経済的にはむしろ恵まれていたかも?」と「その後のシェア」をお聞きしてきました。
(つづく)