あとかた:
先日、メモ帳を眺めていた。
そのメモ帳には、奇跡講座のテキストを読みながらただ書き写したもの、疑問、問い、仮説、そのとき溢れてきた言葉、神さまに「メッセージを与えてほしい」と求めて祈って受け取った言葉・・などがごちゃまぜで書かれていた。
その中に・・
あなたが解決しなければならないと思っている「問題」の責任者は、本当はあなた(個人としての自我)ではない。
唯一の責任は「神の子が負っている唯一の責任は、贖罪を受け入れること」。
それは「この苦境は実在せず、私は神に愛されている存在であるという真実を受け入れることだけに責任がある」ということ。
「問題を解決しなきゃ」と思っているときとは「神の助けが届かない場所(欠乏の世界)が実在する」という自我の主張を信じ込んでいるとき。
その「誤った信念」を聖霊に取り消してもらうことだけが、あなたの仕事。
あなたの責任は「ただ幸せを受け取り続ける」という至福の役割。
と書いてあって・・
このこと自体は、奇跡講座で何度も何度も触れてきたはずのことなんだけど。
「この苦境は実在せず、私は神に愛されている存在であるという真実を受け入れることだけに責任がある」
「あなたの責任はただ幸せを受け取り続けるという至福の役割」
ここが・・なんて言葉にしたらいいかよくわからないけど・・
なんて喜ばしいことなんだろう、と思った。
ある意味とても平凡で、特別ではまったくなくて、とても幸せだった。それもどう言葉にしていいかわからないほどに。
ほんとうに与えられ続けていた。
しかも、神が永遠に完璧に与えているので、与え損なうということはありえないことだった。
わたしはそれを、ほんとうに、認識していなかった。
これを書きながら、きっとまた「わたしは認識していなかった」といいそうな気がすると思ったし、それはそれでもう大歓迎とも思う。
しばらくそれに浸っていたら、
自我が「この平安を保たなくちゃ」「わたしがちゃんと保たなくちゃ」「ずっとここにいなくちゃ」と言いはじめた。(こうやって文字にしてみるとなんかかわいい。)
身体感覚がみるみる戻ってきて、微かに緊張を感じた。
なにもしなくていいのに、わざわざ、鎧を着込んでいる感じがした。
それでとっさに「神さま、どうしたらいいですか」と尋ねたら「わたしはいつでもここにいる」と返ってきた。
そうだった。わたしが鎧を着込もうが、また忘れようが、いつでもここにいるんだった。
わたしが「ここにいなくちゃ」とかしなくても、神さまがいつでもここにいるんだった。
ぴったりとひとつ、そのもの、だった。
ほんとうに与えられ続けている。
しかも、神が永遠に完璧に与えているので、与え損なうということはありえないことだった。
完全なる一方通行(神からの一方通行)のように、感じられた。