「私が責任者だ(何とかしなければ)」と感じるとき

1. 抵抗の正体を認める(気づき)

今、私が感じている「どうにかしなければ」という重圧は、私が神に成り代わって「自分の創造主」になろうとしているサインです。

私は今、自分で自分を維持しなければならないという『自我の嘘』を信じています。

この重圧は、私が自分を神から切り離された孤児だという思い込みから生じています。

2. 身体と役割をわける(脱同一化)

今、目の前にある「人間関係(パートナーシップ、家族、親子、友人知人・・)」「お金」「身体」・・の”トラブル”は、スクリーンの上の出来事。

身体はただの道具であり、原因ではない。

この状況の責任者は『私(肉体・個人)』ではありません。身体は何も決定しません。脚本を書き換えようともがくのをやめ、聖霊と共に観客席に戻ります。解決策をひねり出すのは私の仕事ではありません。

3. 唯一の責任を果たす(受諾)

私がすべきことは、問題を解決することではなく「問題が実在するという誤解」を解くことだけ。

神の愛が届かない場所などどこにもありません。

私は『この苦境が実在する』という信念を信じ続ける代わりに「自分は神から離れたことがなく、常に愛されている」という真実を受け入れます。

わたしの責任は「ただ幸せを受け取り続ける」という至福の役割です。

私が握りしめているコントロールの手を離します。神さま、あなたにすべてをゆだねます。何が起きるかを見せてください。

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