見捨てられる恐れの話とお知らせ

(見捨てられる恐れの話)

あるとき「ある集団に対してわかってない、といいたくなる感じ」が心の中に出てきていた。

身体にも痛みのような重さのようなものを感じていた。

その「わかってない」に対して、なんだか上から目線な感じだなぁとか、マウントをとりたいのだろうかとか、自分の正しさを証明したいのだろうかとか、なんだか優越感みたいな感じだなぁとか、いろいろ分析的になっていたことに、あるとき、ふと気づいた。

「分析的になってるかも?」と立ち止まったとき「わたしは一体、何を恐れてるんだろう?」という問いが浮かぶ。

するとシーンとした感じになって「こわい」という感じが出てくる。

それで、一旦そのままにして過ごしていると、ふと「わかってない、じゃなくて、わかってほしいだった」と気づく。

そうだ、わかってほしかったんだ・・・

「何を?」

「自分でもよくわからないものを」

すると「ひとりぼっちになった感じ」が出てきて「見捨てられるのがこわい」という感じがしてくる。

あの「わかってない!」は、「上から目線の傲慢さ」といえばそうかもしれないけど、

どちらかというと、あれは、こわかったんだ、と思うと、なんだか急に、身体の力みが抜けて、身体の芯から落ち着いていくような感じがしてくる。

「わたしはこわかったんだ」というところと、ぴったりと一致したとき、あの心の働きについて、それを「エゴ」とか「傲慢」と呼んで「手放します」ってやってもいいのかもしれないけれども、

その前にもう「今まで守ってくれようとしていたんだよね。ありがとう」といいたいような感じが溢れ出てきた。

あの心の働きに対してだったのか、それとも「あの心の働きを自分だと思っていた身体のわたし」に対してなのか、なんなのか、よくわからないけど、すべてにありがとう、といいたいような感じが溢れ出てきた。

「シーンとした感じになって、こわい」という感じ。

「これは、静けさへの恐れとか孤独感という感じかなぁ」とか思う。

よくわからないけど、孤独感だったとして「これはもう人間としてそういうもの」という感じがしている。

「ひとりぼっちになった感じ」は、関係性の傷といわれているあの「見捨てられる恐れ」。

今回は「集団に」だったけど、あるときは「世界に」みたいな感じだし、漠然とした感じがある。

言語化不可領域という感じで、ここをこれ以上言語化したりする必要もない気がしていて、解明しようとしたりする必要ももうない気がしている。

それにしても「自分でもよくわかっていない何かを、世界や漠然とした何かにわかってほしい」という思いが心の中で出口を見失っていたとしたなら、そりゃ、こわかったよね、と、これを書きながら思う。

ああ、また、関係性の傷なのかぁ、と思ったとき、

「このことについて、ほんとうにもう、自分の力でなんとかしようとか、傷を治そうとするのではなく、光に捧げて、癒しの機会にしてほしい、それを受け取りたい・・」という願いが出てきた。

そして「それは時間がかかるかもしれないね」といったある人の顔が思い浮かぶ。

そして「ゆっくりと時間をかけて、ほんとうにゆっくりと、安全だと、学び直していけばいい」という感じがしてくる。

「関係性の傷は、ゆっくりと、時間をかけて、安全だと学ぶ必要がある」というのは、その人から聞いたことでもあった。

「喜ばしい知らせ」を受け取ったような、心が満たされているような、嬉しいときのような、感じ。

そして、すでにその環境というか、学びの機会(本当の安全を学ぶ機会)は、与えられ続けていて、今も与えられているし、これからも与えられるのかぁ・・・

シーンとなる。シーンが今はやさしい。

リアルタイムで「与えられている」ということがたくさん重なっているように感じられていて、ありがたいと思う。

そんなこともあったしで、より一層「ほんとうの安全」「ほんとうの安心」というところを、大切に受け取りたいと思ったところでした。

(お知らせ)

3つほど、クラスを募集中です。

(1)1月〜4月の無料オンラインクラス登録の受付を開始しました。いつもの金曜夜のZoomのです。

クラスの名称など、ちょっとしたところをいくつか変更していて、そのあたりはこちらに記載しています。基本的には同じ感じです。

詳細:Light Gathering 【祈りとシェアのオープンスペース/無料】※旧無料オンラインクラス

(2)12月〜4月の第三金曜夜のZoomセミナーInner Alchemy

詳細:【オンラインセミナー】Inner Alchemy

(3)1月〜4月の全託クラス。

詳細:全託クラス

これまで、3ヶ月単位での募集でしたが、あっという間というのか、なんというのかだったので、4ヶ月単位(Alchemyは5ヶ月)です。

そして。

継続コース、来年1月から質問票がなくなる予定です。

「質問票は作成しません」というよりも、もう「なにもかも流れにゆだねたい」という感じなので「なくなる」というとちょっとちがう感じがありますが・・

そのときどき、お一人おひとりの完全オーダーメイド、です。

質問票が気になっていて、迷っていた、という方がもしいらっしゃいましたら、ぜひどうぞ。

継続コース(basic)

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