浄化のとき

願いや問題をきっかけに、ほんとうの本心や本音と向き合っていく──

それは、私たちの人生の中で、とても自然な流れです。

そしてその過程で、思いがけない“こわさ”を感じることがあります。

「嫌だ」「逃げたい」「避けたい」「やめてしまいたい」「できない」――

そうした声をよく見てみると、その奥には「こわい」という気持ちが隠れていることがほとんどです。

けれど、それは悪いことではありません。

むしろ、心の奥深くに触れようとしている証です。

それは弱さを示しているのではなく、真の強さと再会しようとしているしるしでもあります。

その「おそれ」を、ゆるしの光のもとでただ見つめ、ゆるしていくこと。

それが、心の中の真の力を思い出していくということでもあります。

本心にまっすぐに向き合おうとするとき、内側で眠っていた恐れや痛みが、そっと顔を出すことがあります。

それは「奇跡の前に必要な浄化」であり、心と向き合い、祈っているからこそ起きることなのですが、ここで心と向き合うことや、祈ることをやめてしまう方もいらっしゃいます。

浄化のプロセスが始まっているしるしであり、あなたが、ほんとうの自分へと歩み始めたというサインです。

ときには、変化の速さや展開の大きさに圧倒され、「このまま進んで大丈夫だろうか」と不安になることもあるでしょう。

けれど、それもまた光へと近づいているサインです。

その流れの中で、私たちは“大いなる存在”や“心そのもの”を、より深く信頼していくことを学んでいます。

「今見つめている本心が、本心ではないのでは?」そんな不安が出てくることもあるかもしれません。

それも自然なことです。

心はいつも、やさしく、自然に、幸せへと向かっていっています。

そして、ここで思い出したいのが「鏡の法則」です。

この世界は、いつもあなたの心の状態をそのまま映し出しています。

心が愛を受け入れたとき、必要な行動や具体的な体験は、自然と導かれるように現れていきます。

外の出来事を変えようと力む必要はありません。

ただ、心の中で愛を思い出すこと。

それが、すべてのはじまりです。

ほんとうの本心と向き合うということは、光へ還っていく旅そのもの。

やがてその道のりは、“こわさ”ではなく“やさしさ”と“楽しさ”に満ちたものだったのだと、静かに感じられるようになっていくでしょう。

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