罪悪感をやさしく見つめる5つのステップ

―心を責めずに、光へと戻るために―

罪悪感を感じたとき、それを「悪いもの」として追い出そうとすると、さらに苦しみが深くなることがあります。

ここでは、罪悪感を否定せずに見つめ、心を静けさへと導くための5つのステップをご紹介します。

奇跡講座で学んだことも含めています。

これは「こうすべき」という手順ではなく、あくまで一つの見方・流れの例として受け取っていただけたら幸いです。

ご自身のペースで、心に響くところだけをそっと受け取っていただけたらと思っています。

① 否定せずに気づく

罪悪感が出てきたとき、まずは「感じている自分」に気づくだけで大丈夫です。

「ああ、いま罪悪感を感じている。わたしはこれを“悪いこと”と見ていたんだな」と静かに認めることで、

すでに心は一歩離れています。

② 罪悪感の下にある“本当の思い”を見る

罪悪感の奥には、「愛したかった」「助けたかった」「つながりたかった」というやさしい願いが隠れていることが多いものです。

問いかけてみることで、隠されていた「本当の思い」「優しい願い」と一致しやすくなります。

問いかけの例

・わたしは本当は、どんな愛を表現したかったのだろう?
・わたしはどんなふうに、つながりを求めていたのだろう?

③ 罪ではなく“誤解”として見直す

奇跡講座の視点では、罪悪感は罪ではなく「誤解」です。「愛から離れた」「神との一致を壊した」と信じた夢のようなものといわれています。

「これは現実ではなく、分離という夢を信じた結果なんだ」

「神はわたしを罰していない。わたしが罰しようとしていただけなんだ」

この思い出しによって、心を少しずつやわらいでいくのを感じています。

④ 聖霊に見せる

罪悪感を「手放そう」とするのではなく、「見せる」こと。

たとえば「聖霊、これをあなたに見せます。わたしは自分で解決しようとしてきました。でも今は、あなたと共に見ます」という思いから、祈りをささげます。

どうにかしようとする力みを手放し、ただ共にいることで、罪悪感は光へと運ばれていきます。

⑤ 無罪性を思い出す

最後に訪れるのは、静かな確信です。

たとえば「わたしは間違っていたけれど、愛そのものは何も失われていない」という感覚、涙や安堵、感謝とともに、“すべては愛の中にあった”という感覚が自然に思い出されていきます。

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