内観や心の学びの中で「ラベリング」という言葉を耳にすることがあります。
今回はその意味と、そこから自然に訪れる「ラベリングを外す」流れを、純粋非二元や心の理解とあわせて、要点をまとめてみました。
ラベリングとは
- 心の中で起きている現象に「名前を与える」こと
- 目的は、感情や思考に飲み込まれず、「見ているわたし」の位置を取り戻すこと
- 言葉を与えることで、脳と神経系も「今は安全」と認識し、落ち着きを取り戻すといわれている
ラベリングは、心に光を当てるための仮の補助線
なぜラベリングすることで楽になることがあるの?
ラベリングをすることで少し楽になったように感じる理由は、言葉を与えることで脳と心のあいだにわずかな距離をつくるからです。この距離が「観察者の位置」=意識の安全基地です。
ラベリング前に感情や投影に飲み込まれて「わたし=この反応」と一体化している場合、ラベリングすることで「これは〇〇という反応が起きている」と一歩引いて見ることができます。
このわずかな距離ができると、神経系は「今、危険ではない」と感じて落ち着きます。
それは、自己同一化から意識を解放する行為です。
ラベリングをする理由
- 無意識だった反応を「見える化」できる
- 「わたし=感情」から、「感情を見ているわたし」へ戻れる
- 自我のパターンを優しく観察する練習になる
- 奇跡講座的に言えば、恐れの思考体系を“光に運ぶ”プロセスの流れの一部
(例)数日前の誰かとのやりとりがずっと頭で繰り返され、ストレスを感じているとき「投影同一化かも」と立ち止まることで心が少し落ち着き、心と向き合いやすくなる
(例)何日も怒りが出てきてつらく感じるようなとき「これは自我の働きだ」と立ち止まることで、「反応」から少し離れて見ることができる。「わたし=もやもや」から「わたしともやもや(わたし≠もやもや)」になっていく感覚。
ラベリングのポイント
ラベリングは健全な方法です。
ラベリングは「否定」や「押さえつけ」ではなく気づきの一形態です。
ポイントは・・・
- 「〇〇だからダメ」「まだ手放せてない」などの評価や結論づけに使わないこと
- 優しく観察するための目的であるということ
このように使うなら、ラベリングは自己観察・祈り・赦しの第一歩として非常に有効といえます。
「抵抗」「ジャッジメント」「コントロール」「操作」「投影同一化」などを評価や結論づけに使っていたり、目的が曖昧だったりする場合などは、かえって苦しくなってしまうことがあるかもしれません。
ラベリングを外すとは
- 「ラベルを外す」とは、名づけることを超えて、ただ感じる段階へ移ること
- タイミングは自然に訪れる。心が「もう区別よりも、全体として感じたい」と静まり、自然と導かれる
- 目的は、“分ける理解”から“ひとつの静けさ”への回帰
ラベリング=分離を見抜くため
ラベルを外す=分離を超えるため
三つの段階で見る心の動き
| 段階 | 行為 | 意味 | 意識の状態 |
|---|---|---|---|
| ① ラベリングする | 反応を見える化し、観察者の位置を取り戻す | 自我の動きを見抜く | 「見る」 |
| ② ラベリングを外す | 名前を超えて、体験をそのまま感じる | ラベルを超えて感じる | 「在る」 |
| ③ 祈り・赦しの段階 | ラベルごと聖霊に捧げ、一体性へ戻る | 赦しと静けさ | 「ひとつである」 |
「心にすべての原因がある」
身体の反応を変えるのではなく原因(心の選択)を恐れから愛へと戻す
そのとき結果としての静けさが映し出される
🕊️
「ラベリング」で心を見つめ、「ラベリングを外す」で心に還ります。
どちらも同じ赦しの道の中にあります。
わたしは原因を思い出します。
今見ているすべての結果は、心の中から生まれたものです。
聖霊よ、この知覚をあなたに捧げます。
恐れではなく愛を、原因として選べますように。