「したい」と思いながらも行動を迷ったりためらったりするとき

前回の記事(スピリチュアルな文脈における変化と変容の違い)のつづきです。

セッションでは「別れたいです」「転職したいです」というご相談をいただくことがあります。

「別れるかどうか」「転職するかどうか」というのは、形・状態・行動のレベル、いわば”変化”のテーマです。

わたし自身、「別れたいと思っているのに、なぜすぐ別れないんだろう?」「転職したいと思っているのに、なぜ行動に移さないんだろう?」と感じていたことがありました。

でも今は、もう少し違う見方をしています。

たとえば――

本当に心の深いところから生まれた導き、魂からの“はい”であれば、

お金や子どものこと、親やパートナー、将来、世間の目といった要素よりも、自然と「心の静けさ」が優先されていくものです。

そのとき、それらの条件は「問題」ではなく、やがて「整っていくもの」として見えてくることもあります。

そして、心の奥からの導きが明らかになるにつれて、

「お金が入ったら〇〇しよう」

「もしこの道が正解なら、みんなが賛成してくれるはず」

といった「外側の出来事で確かめようとする思い」も、少しずつ静まっていきます。

それは、何かを試すことではなく、すでに信頼している場所から自然に動き出す感覚です。

何かを証明しなくても、ただ心が知っている――

そんな、深く穏やかな確信に包まれるのです。

一方で、「こうしたい」と思いながらも、「でも」「だって」と言いたくなるとき。

誰かに話を聞いてもらいたくてたまらなくなるとき。

その奥には、まだ光に見つめられていない大切な気持ちがあるのかもしれません。

そして、その気持ちと丁寧に向き合った結果として、

別れることになるかもしれない。別れない選択をするかもしれない。

転職するかもしれない。転職しないかもしれない。

これまで多くの方とセッションを重ねてきましたが、どちらの選択にも、その方の真実と愛がありました。

その選択の奥には、言葉にしがたい美しさと、やさしい強さ――心の深くから滲む真の力がありました。そしてそれは、見ているこちらの心にも、深い信頼と平安を思い出させてくれるものでした。

共通しているのは、心の奥の源泉からあらわれた選択には、澱みのない清々しさと深い安心があるということです。

それは「正しい・間違っている」といった判断ではなく、心が静かに「うん」とうなずくような、そんな感覚です。

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