「光と影の統合」と「光と影を聖なる光にゆだねる」

ユング心理学などでよく使われる「光と影の統合」という概念があります。

わたしが10年以上前からスピリットから受け取っていた「影の扱い方」は、これと近いところ、重なるところもあるかもしれませんが、ちょっと異なります。

同時に、ユング心理学などの「光と影の統合」について否定しているわけではまったくないのですが、ただ異なるので、ブログを書いてみようと思います。

わたしが受け取っていた内容が、奇跡講座で伝えられていることと同じなのでは?と思いながら、奇跡講座を読んでいたのですが、

何名かのクライアントの方(奇跡講座を学びはじめた方、学習を再開された方)が「同じところ」を見ていてくださっていて、このことは、わたしにとって、本当にあたたかい力強さを感じさせてくれるもので、心から感謝しています。

(キリスト意識、聖霊などの)光のネットワークから、ずっと助けを受け取っていたんだと感じています。

ユング心理学の光と影の統合が「影を自覚して受け入れること、光と影の両方を持つ自分を丸ごと受け入れることで、自己実現する」だとすると、

わたしが”光ネットワーク”から受け取っていた影との向き合い方は、「個人としての光の側面と影の側面は、コインの表裏一体のようなもので、一時的なもの、絶対的なものではないと見抜く。それを、まるごと、光(神聖性としての光)にゆだねることで、光(神聖性としての光)だけを体験する、思い出す」「影は光に飲み込まれ、神聖な光だけが残る」みたいな感じです。自己実現ともいえるかもしれませんが、どちらかというと「光そのものとして生きる、神の子として生きる」という感じです。

このことは「奇跡ならではな感じ」のところではないかな、と、わたしは感じています。

「奇跡ならではな感じ」「神様!と思わず言いたくなる感じ」がわたしは好きなので、「影もなにもかも、神聖な光の中へと戻る」というこちらの方をみなさんと分かち合っています。

「個人としての光の側面と影の側面は、コインの表裏一体のようなもので、一時的なもの、絶対的なものではないと見抜く。それを、まるごと、光にゆだねることで、光だけを体験する、思い出す」と書きましたが、

「個人としての光の側面と影の側面は、コインの表裏一体のようなもの」「プラスとマイナス」ここも丁寧にみるという感覚がありワークしていたことがある(最近もある)のですが、その目的は認識の変容です。

そして、より深く理解し、確信を育て、聖霊の視座を保っていくために、聖なるプラクティスを楽しんでいきます。

「奇跡ならではな感じ」は、向こうからやってくる、みたいなところがあります。

これは、もう、わくわくです💖

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