「おはよう。今日、あなたはわたしに何か書いてほしいことはありますか?何を書いてほしいですか?」
思い出してください。
断ったとき、離れたとき、それを決意したときのことです。
あなたは、なんとかしよう、闘おう、自分で維持しようとするよりも、ただ深い休息と静けさを望みました。
そのままでいいということに心を開きました。
差し出されていたのは、あなたには優しい導きにゆだねる自由があるということ、その強さ(本当の強さ)を認める機会でした。
それは誰もがすでに満ち足りていること、その豊かさを垣間見た瞬間でもありました。
昔「離れること=関係の破綻や攻撃」「断ること=否定や拒絶」「沈黙されること=無視、攻撃」「反対意見をいうこと=対立すること、戦いを挑むこと」と、解釈していたことがあったようにおもいます。ずいぶんと、無理をしていたなぁ、とおもいます。
けれども、光に従う自由を自分自身にひたすら許可するなかで、
・離れること→深い休息と静けさの中にいること
・断ること→誰の心の中にもある力を尊重し、信頼すること
・沈黙すること→深い休息と静けさの中にいること
・・・そんな移行のような感覚、コントラストのようなものを感じていたことがありました。
日常生活を送るなかでの、いろんな人々との関係性の中で、自由でいることは、小さなわたしには想像もつかないことだったように思います。
距離が遠くても、距離が近くても、距離を置いても置かなくても、その関係性の中に自由がある、ということは、それこそ奇跡的なのでは、と思いました。
小さなわたしは、「心の距離」が近くなれば近くなるほど、こわくなったり、壁を感じてさみしくなったり、その壁を壊したくなったり、壊されると思ったり、していたときがありました。
小さなわたしが距離を置きたい、と思っていたのは、自分の中にある影だったのかもしれません。
「あなたの中に光があって、その光はわたしの中にある光と同じ。それを信頼したい」
という、小さな祈りとたくさんの出会いと自由に感謝をおもいます。