境界(バウンダリー)についても、心理学だったり、さまざまなレイヤーでの理解があるかもしれません。
境界の基本的な理解が曖昧にされたまま、「境界線を引く方法を学んで、自分で実践しようとする」と、図らずも相手を遠ざけてしまったり、本心とズレたままの言動をしてしまったりすることもあるようです。
ここで共有されている境界について(いちばん基本的なところについて)だけを言葉にしてみたいと思います。
ここでいう境界は、「距離感」や「冷たさ」や「線を引く技術」ではありません。
一言でいうと、
どこまでが「私の選択」で、どこからが「相手の選択」かを
自分の内側で区別できている状態
境界は「壁」でも「殻」でもなく、この世界(分離の知覚の世界)においての区別です。
この世界においての区別が曖昧なままでは、「愛」も「光」も「ワンネス」も降ろすことができません。
だから、境界の理解は、霊性の否定ではなく、霊性をこの世界で機能させるための前提となる認識です。
境界がある状態とはどういうことか
境界があるとき、内側ではこうなっています。
① 主体が一つしかない
- 相手の感情・期待・不安があっても、それが「私の課題」にはならない
- 私がどうするかは、私の内側で決まる
つまり、他人の状態や言動が、私の行動の「原因」にならない
② 反応と行動の間に「間」がある
境界があると、
- 何かを感じる
- すぐに動かない
- 選択肢が見える(選択肢がひとつではないことが見える)
「すぐに動かない」とは、「動けない、行動できない、迷う」というような感じではない。
境界の混乱がある場合は「すぐに動かない」というよりも、「動けない、行動できない」や「迷う」となる。
③ NOが説明不要
境界があると、
- NOに理由が要らない
- 相手を納得させる義務がない
- 「違う」と感じた時点で止まれる
これは冷たさではなく、責任の所在が明確ということ。
境界が弱い状態とは何か
境界が弱いときに起きることは、
- 相手の不機嫌=自分の問題になる
- 期待される=応えなければならない
- 断る=相手を傷つける
- 説明すれば分かってもらえると思っている
つまり、他人の内面に自分の行動の主導権を渡している。
境界は「主張」ではない
よくある誤解ですが、
- 境界がある = 強く言える
- 境界がある = 自己主張が上手
ではありません。
むしろ逆で、境界があると主張しなくて済む場面が増えます。
なぜなら、内側ですでに分かれているから。「そこまでする必要が、ただ、ない」から。
身体感覚との関係
境界が機能していないときは、
- 後から疲れる
- 後から怒りが出る
- 後から自己否定になる
境界が回復してくると、
- その場で痛み・不快が出る
- 早い段階で違和感が出る
- 大事になる前に止まる
境界は、
- 教育で教わらない
- 道徳とも違う
- 優しさとも別
- 正しさとも関係ない
だから「境界がある/ない」という発想そのものを持たないことも多い。
その結果、
・境界が作動した人を見ると→「冷たい・敏感すぎる」と見える
・境界が作動しない方が→「協調的・優しい」
と誤解されやすく、誤解したままのイメージが保たれてるということがある。
まとめ
- 境界とは自他の選択を区別する内的構造
- 感じる力とは別物
- 自己主張が強いこと、自己中心的であることではない