今回は「感受性が強すぎる」「敏感すぎる」「霊的に敏感すぎる」が、具体的に何を指しているのかを書いてみたいとおもう。
「感受性が強い」ではなく「感受性が強すぎる」という場合の話。
ここでいう「感受性が強すぎる」「霊的に敏感すぎる」 という言葉が本来指しているのは、刺激の入力が多いことではない。
指しているのは「入力と処理」と「境界」が、うまく分かれていない状態。
つまり「感じる力が高いか低いか」などの話ではなく、
感じたものをどう扱えているかの問題。
「感受性が強すぎる」の正体
本来この表現が当てはまる状態の特徴は、
・感じた刺激が自分のものか相手のものか区別できない
・感じたあとに自動的に同一化・没入が起きる
・境界が曖昧で相手の感情・期待・不安を引き受けてしまう
・感じる → 考える → 行動するが一瞬で起きて止まらない
・頻発する(相手や場面を選ばない)
これは「感度が高いか低いか」の話ではなく、フィルターと回路が未分化な状態といえる。
「霊的に敏感すぎる」の正体
この言葉もかなり誤用されていると思う。
本来これが指すのは、
・「外側の誰かや何かの内面を感じた、過去や未来を感じた」と思った瞬間に
・それを事実・真理・法則のように解釈してしまう
・検証や距離を置く余地がない
・自分の反応を疑えない
つまり、感じたことを「絶対的な情報」として扱ってしまう状態。
これが「霊的に敏感すぎる」と呼ばれていることがある。
問題は霊性ではなく、内的検証装置が弱いこと。
過敏さ由来の反応の特徴は、
・頻繁に起きる(相手や状況を選ばない)
・安全な場面でも出る
・一人でいても続く
・あとからも長く残る
・「自分が悪いのかも?」という自己否定がセット
これは神経が常に警戒モードになっている状態。
反対に「無差別に反応しない」「たまにしか起きない」「その場で立ち止まれる」「あとから検証できる」のであれば、過敏というほどではないのかもしれない。
※ここでいう「神経が常に警戒モード」の「神経・神経系」というのは、医学的・トラウマ理論的な意味を指しているのではなく「心の選択が揺れたとき、まだ更新されていない身体側の反射・身体の自動反応」という意味で書いています。
それで、もし、周囲から「感受性が強すぎる」など過敏さを指摘されるけど、過敏さ由来の反応ってほどでもないかも?という場合は、
境界が回復しつつあり、侵入を早期に察知できる感覚が戻っているということがあるかもしれない。
境界が曖昧である場合、侵入に気づけない、嫌なものが嫌なのに嫌だと認識されていない、ということがある。
でも、境界が回復してくると、それを察知する・感じるようになることがある。
この場合の「感じる」は「健全な感じる」であって、「過ぎる」ではないかもしれない。