スピリチュアルバイパスとは?

スピリチュアルバイパスとは(一般的な定義)

スピリチュアルな概念・言葉・実践を使って、

本来向き合われるはずの感情・葛藤・痛み・現実的課題を「通り過ぎてしまう」ことを、スピリチュアルバイパスというそうです。

一般にこの用語は、ジョン・ウェルウッド(John Welwood)によって提示されたものとされています。

彼自身は、

  • 仏教瞑想の実践者
  • 心理療法家
  • トランスパーソナル心理学の研究者
    という立場を併せ持っていました。

そのためこの概念は、「スピリチュアルを否定するため」ではなく、スピリチュアル実践の“落とし穴”を内部から言語化する試みとして提示されたものです。

ポイントは、

スピリチュアルそのものが問題なのではなく使われ方の問題という点です。

典型的に挙げられる「使われ方」の例

※以下は「必ずそうだ」という意味ではなく、そう機能してしまうことがあるという例です。

(1)感情の回避として使われる場合

  • 「これは幻想だから感じなくていい」
  • 「怒りや悲しみはエゴだから手放すべき」
  • 「恐れを感じる私はまだ未熟」
  • 「不足は幻想、だから無視」
  • 「身体は存在しない、だからどうでもいい」

感じている事実そのものが、霊的な言葉で無効化されてしまう可能性。

(2)自己評価・優劣の温存として使われる場合

  • 「私はもうそこを超えている」
  • 「あの人はまだ目覚めていない」
  • 「低い波動に関わらない」
  • 「あの人はまだ恐れが強い。わたしは恐れがない」

→外見上はスピリチュアルでも、分離・特別性・正しさが温存される構造。

(3)現実的課題の先送りとして使われる場合

  • お金・仕事・人間関係の問題に対して
    「宇宙に任せれば大丈夫」
  • 不安や混乱があるのに
    「信頼していれば考えなくていい」

行動や選択の停止として使われてしまう可能性。

「本質的なスピリチュアリティ」との違いは?

よく言われる対比を、評価抜きで置くとこうなります。

観点バイパス的に使われるときそうでない使われ方
感情感じないようにする感じたままにしておく
思考正しさで上書き判断を保留する
痛み霊的理由で否定事実として認める
不安消そうとする見た上で選び直す

まとめ

こうして眺めてみると「スピリチュアル」に限らず、自己啓発、心理学など、分野に限らずよくあることなのかもしれない、もっといえば、そういったことにあまり興味がなくても、よくあること(心の働き)なのかもしれない、という感じがしてきますが、

スピリチュアルバイパスとは、

癒しの言語が、癒しそのものを避けるために使われてしまう可能性

と言えるのかもしれません。

そして多くの場合それは、

  • 防衛
  • 生存戦略
  • これ以上傷つかないための工夫

として起きている可能性があるかもしれません。