怒りは光への入口(2−1)──責めなくていい「正当な怒り」の理解

怒りを感じたとき、
多くの人はまず「自分が悪いのでは?」と内側を責めてしまいます。

けれども、Light Remember の視座では、
怒りはあなたの光が「ここをみて」と知らせてくれているサイン

敵でもないし、スピリチュアリティ(霊性)に反するものでもありません。

怒りは攻撃ではなく、
自分自身の尊厳と静けさを守るために
「身体のわたし」と「心のわたし」が鳴らす小さなベルのようなもの。

今回は、その怒りを
責めず、否定せず、光へ戻る入口として扱うためのワンクッション
を光と共に見ていきます。

「正当な怒り」とは光に背くものではなく「健全な知らせ」

人間として、怒りが自然に立ち上がる場面があります。

  • 境界線が破られたとき
  • 無視・軽視・侮辱があったとき
  • 心の尊厳が踏まれたとき
  • ハラスメントや搾取があったとき
  • 命の危険や強い不安が生じたとき

こうした怒りは、
光から離れているから起こるものではなく、むしろ光が 「守るべきところ」を照らしている証拠。

怒りは攻撃ではなく、自分の中の「境界線センサー」がはっきり反応しているサインです。

怒ること自体を悪者にする必要はありません。

怒りを否定すると静けさが見えなくなる

怒りを押し込めると、静けさは遠ざかります。

麻痺や抑圧、大丈夫なふりと、
”光の静けさ”は異なるものです。

● 自己否定

怒りを感じた自分を責め、
「私がおかしいのかも…」と誤解してしまう。

● 境界線が曖昧になる

傷つけられた場所をなかったことにすると、
“身体のわたし” が安全を失う。

● 本心が埋もれる

怒りを抑圧すると、
その奥にある「悲しみ」や「真実の声」も
一緒に押し込められてしまう。

怒りを尊重することは、本心を尊重すること。
光に帰る道の最初の一歩です。

「怒りは正当化できない」の本当の意味

ここは特に誤解が多いところ。

心・光の教え、そして、奇跡講座がいう
「怒りは正当化できない」とは、

「光のレベルでは、怒りの原因は外側にない」

という一点だけを指しています。

「心が原因、世界(外側)は結果」です。

決して、

  • 「怒ってはいけない」
  • 「怒ったあなたが悪い」
  • 「侵害を受けたのもあなたの責任」

という意味ではありません。

ここを取り違えると、
自分を責めてしまい、光への橋が落ちてしまいます。

そして、この部分の誤解は非常に多くの霊的実践者に見られるものでもあります。

Light Rememberの理解では、

  • 人間レベル:怒りは自然で健全
  • 光のレベル:原因は心(光とつながるわたし)にある

この「二つのレベルを混ぜないこと」が大切です。

どちらも大切で、どちらも真実への一部です。

ハラスメントや侵害の怒りは「光の防衛反応」

ハラスメント、侮辱、過剰な要求、搾取。

こうした状況で怒りが立ち上がるのは、
光が「ほんとうの尊厳」を照らしてくれているため。

怒りの声はこう伝えてくれます:

「ここが傷ついているよ」
「この扱いはあなたの本質に合っていないよ」
「ここに境界線が必要だよ」

怒りはあなたが間違っているサインではありません。

むしろ 「あなたは正当に扱われていい存在です」と告げる光の痕跡です。

それは「怒りそのものが光」という意味ではなく、あなたの光が『ここを見て』と知らせてくれているサインです。

加害の責任は加害者にあり、それを自分の責任にすり替える必要はありません。

ここでいう責任とは「法的・倫理的な責任」のことで、あなたが自分を責めなくていいという意味です。

そして、善悪の闘いというよりも、
自分自身の内なる光、その光の優しさを、自分の心に与える勇気を持つことが大切です。

これは、善悪を否定するという意味ではなく、
自分の心に静けさを戻すことを最優先にする視点です。