セッションの形ごとの「起きる深さと領域」の違い、
それぞれの基本的性質について Light Remember版でまとめてみました。
※ セッションの形= 1回/自然に重なる複数回/継続コース/継続コース後の1回セッション
優劣や上下は一切ありません。
どの形であっても、
申込の瞬間に「心はすでに光へ向かう」という動きが起きています。
なぜなら、
「心が原因、世界は結果」
だからです。
「心の意図 → 行動 → 形」
という順序で世界は現れるため、
形そのものよりも心の深いところにあった意図が本質です。
そして、その 「光へ向かう意図の深さ・性質」 が、
自然に 1回・自然に重なる・継続・・・ の形として現れているだけなのです。
ここでは、
今回は、前回からのつづきとして、
セッションの形= 1回/自然に重なる複数回/継続コース/フォローセッション(継続コース後の1回セッション)のうち、
「継続コース/フォローセッション(継続コース後の1回セッション)」
そして
「継続コースがもう一度呼ばれるとき」
を見ていきます。
前回の記事:セッションの形ごとの「起きる深さと領域」の違いについて(2−1)
3|最初から複数回で申し込む(継続コース)
深層構造そのものが開き「存在として光に戻る」プロセス
起きる深さ
・幼少期の役割、罪悪感、深層の構造までひらく
・恐れの核層まで光が届く
・「光の視座」が暮らしに定着し始める
開く領域
・繰り返してきたテーマの根が明確に見えてくる
・役割構造がほどけていく(=光が働き、わたしは開く)
・恐れと光の境界が透明になり、「地」としての静けさが育つ
・生き方そのものの土台が光に戻る
性質
・深層が自然に開くため、逃避や先延ばしが自然と減る
・光に戻る方向性が「習慣」ではなく「存在」になる
・心の筋肉(光へ向かう微細な力)が育つ
・「深いレイヤー」が時間差で姿をあらわし、ひとつずつ光へ返されていく
・申込時に心の深いところにあった「ほんとうの願い」が静かに開き、あらわれる
→ 構造がほどけ、生き方の土台が光に置き換わる「変容のプロセス全体」。
継続コース後の1回セッション
フォローセッションは「メンテナンス」というよりも、光を生きるための「感覚・身体・心の微細なチューニング」。
起きる深さ
・深層ではなく、「微細な層」の深さ
・継続で既に深層が開いているため、扱うのは視座の小さなズレや、身体の軽い引っかかりなど細やかな領域の調整
開く領域
統合・調律・定着の領域が開く
・静けさの定着
・光の視座の微調整
・日常での小さな乱れの整え
・行動と静けさの橋渡し
・仕上げの層が自然にあらわれるひととき
性質
深く掘るのではなく「光に合わせるチューニング」
・短時間で静けさに戻る
・テーマが薄く、透明
・光の方向性を整える
・乱れた周波数を軽く調律する
継続で育った土台を保つための、
やわらかいメンテナンスの性質があります。
「メンテナンス」という言葉だと、
- 壊れた部分を修理する
- 足りない部分を補う
- 問題を“直す”
という印象がついてしまうことがありますが、
継続後のフォローで起きているのは、
「光を生きる存在としての微細な調律」 であり、
「修理」ではなく 「生き方、存在の響きの調整」です。
まとめ
継続複数回:存在が光に戻るプロセス
・深層構造(幼少期・役割・罪悪感)が開く
・パターンの根が見え、ほどけていく
・光が「土台」として定着
・光へ戻る方向性が習慣ではなく「存在」として生きはじめる
継続後のフォローセッション:光を生きる存在としての微細な調律
・深層というよりも、「微細な層」の深さ
・統合・調律・定着の領域が開く
・静けさの定着
・光の視座の微調整
・日常での小さな乱れの整え
継続コースがもう一度呼ばれるとき
継続コースを再受講するという光の動きには、
とても深い意味と美しさがあります。
それは、継続コースによって深層の扉がひらかれ、
多くのパターンが光に返された「その続き」として、
心がさらにやわらかく開いてきた証です。
再受講は「後退」ではなく、
「より深い層が光を受け取る準備が整った」という静かな合図。
変容や光への帰還は、一度で完結する直線ではなく、
層を重ねながら広がっていく循環的なプロセスです。
その流れの中で、心が再び継続コースに傾くこともあります。
たとえば——
・もっと深い平和のために、次の扉がそっと開いた ということ
・今「以前は触れられなかった“奥の静けさ”を迎え入れる準備が整った」ということ
・「同じ道を繰り返すのではなく、同じ“中心”へ、より豊かな角度から帰っていく」ということ。
浄化とは「一度で全部終わる」ものではなく、
必要なときに必要な層だけが自然にひらいていくやさしい循環です。
だから再受講は、「浄化が終わらなかった」のではなく、
光がもっと深く届きたいと静かに呼んでいる現れ。
同じプロセスを繰り返すのではなく、
より深い愛へ、より透明な静けさへ、
より広がった光へと招かれているということです。