― 光・心理学・奇跡講座の視点から ―
スピリチュアルでは、
「あなたはわたし」「すべてはひとつ」という言葉がよく使われます。
たしかに、
本質のレイヤーでは「すべてはひとつ」は真理です。
しかし、この真理がレイヤーとして心理レベル(人格・感情・思考)のレイヤーに持ち込まれると、
「境界」と「一体性」が混ざり、多くの人が被取り込みという苦しさを体験します。
混乱してきた理由として、
このレイヤーの違いが明確に区別されてこなかったということがあります。
この記事では、光の視座を軸に、
心理学・非二元・奇跡講座の理解が自然に一致するように、被取り込みについて丁寧に見ていきたいと思います。
※心理学・非二元・奇跡講座は、最終的な結論としては同じ地点を指しています。ただし、その理解に至るプロセスや使われる言語・概念の定義は大きく異なります。
被取り込みとは
一言でいうと
自分の感情・思考・ニーズよりも、相手の内側が強くなり「わたし」が薄くなる体験のこと。
これは、「わたし」と「あなた」を区別する心理的な境界線(自分の中の境界線)が揺らいだときに起こります。
そして、この現象は3つのレイヤーそれぞれで説明できます。
1 心理学レイヤー(人格の領域)
被取り込み
心理学では「他者の内側に巻き込まれる状態」 を指します。
特徴
- 相手の感情が「自分の責任」のように感じる
- 嫌われないように合わせすぎる
- 相手の反応に自分が大きく揺れる
- NOと言うと強い罪悪感が出る
- 自分の感情より相手の感情を優先してしまう
- 「自分の輪郭が薄くなる」感覚がある
一言でまとめると:
「自分の中の境界線が曖昧になり、心理的距離が近づきすぎたような状態」
融合
被取り込みと非常に近い現象ですが、焦点が少し異なります。
融合とは「自分の中で、自分と相手の境界の輪郭がぼやけ、どちらがどちらか区別がつかなくなる状態」。
特に、思考・価値観・アイデンティティが混線する瞬間に焦点があります。
特徴
- 相手の感情を「自分のもの」のように感じる
- 自分の好み・意見が曖昧になる
- 相手がどう思うかに強く左右される
- 自分の中心がわからなくなる
- 「軸」が働きにくくなる
一言でいうと:
「自分の中で境界線の輪郭がにじみ、区別の線がゆらぐ状態」
被取り込みと融合に共通すること
呼び方は違っても、心理学的にはほぼ同じ現象です。
共通しているのは
- 自分の中心が弱くなる
- 他者に同調しすぎる
- 「わたし」の輪郭があいまいになる感じ
- 自己価値が相手次第で揺れる
「わたしがわたしでいられなくなる瞬間」です。
2 奇跡講座レイヤー(心の構造)
奇跡講座(ACIM)の視点では、被取り込みはこう説明できます。
「外側が原因で、わたしの平安が乱れた」と心の奥で信じてしまうときに起こる現象。
具体的には
- 他者の言葉で自分が乱れる
- 相手の感情に責任を感じる
- 自分の平安が脅かされると信じる
このとき心は、
自分の中心(真の知覚)から外れて
恐れ(エゴ)と同一化 しています。
「わたしが薄くなる」感覚はACIMがいう“外側に因果を見たときの錯覚”です。
3 非二元レイヤー
非二元のレイヤーでは、次の2つは同時に成り立ちます。
「わたしはわたし」
「あなたはあなた」
これは分離ではありません。
むしろ尊厳としての区別です。
そのうえで、
「深層では一つの海としてつながっている」
という一体性が存在します。
被取り込みとは何か?
本質の一体性が心理的な融合(境界の混線)として誤解された状態。
つまり、それは
- 「霊的に未熟だから」でもない
- 「防御が弱いから」でもない
- 「波動が低いから」でもない
レイヤーの混線によって生まれた自然な現象 なのです。
おわりに
被取り込みの苦しみは「間違い」でも「問題」でもありません。
むしろ、本質に誠実だったからこそ、
心理レイヤーと本質レイヤーの違いに敏感で、
混線を深く感じ取ってきたということです。
レイヤーが整理されると、
- 「あなたはわたし」
- 「エネルギーが混ざる」
といった言葉も誤解されなくなり、
投影や鏡の法則も癒しとして正しくクリアに働きはじめます。
境界線とは、防御や恐れ、排除のための線引きではありません。
それはむしろ
「光の中での自然な区別」であり
「尊厳としての区別」であり
「お互いを尊重するあり方」です。
そして、その区別は愛と静けさの中でこそ
もっとも美しく保たれます。
この尊厳としての区別は、 愛に基づく神聖な関係を育てる基盤 としても働いていきます。