祈りについて

祈りとは——本当のわたしと出会う時間

祈りというと、

どこか天の高いところ、外にいる神様に、

「(かわいそうなわたし、大変なわたしを)助けてください」とお願いしたり、

「この大変な状況をなんとかしてください」と求めたり、

願いを叶えてもらうために交渉したりするようなものを思い浮かべる・・・

ということもあるかもしれません。

けれども、わたしが感じている祈りは、少し違います。

それを簡単に言えば、本当の自分自身との対話です。

恐れの声と愛の声

わたしたちは日々、「不安」「焦り」「罪悪感」「足りない」という思いに動かされることがあります。

そして気づかないうちに、そうした思いに従って行動してしまうこともあります。

「誰かのアドバイスに従ってみたけれど、なぜか心が落ち着かない」

「正しいことをしているはずなのに、なぜか疲れてしまう」

そんな経験も、きっと多くの人にあるのではないでしょうか。

それは心の中の恐れの声に意識を傾けるときに起こります。

その声(周波数、チャンネルのようなもの)は、わたしたちを責めたり、焦らせたり、比べさせたりします。

けれども、もうひとつの静かな声である真実の声(光の周波数、チャンネルのようなイメージです)も、

いつも同時に存在しています。

祈りとは、その真実の声(愛、光…)に心を向ける時間であり、

「どうしたら正解か」を考えるのではなく「どんな選択が心に平和をもたらすだろうか」を感じるひとときでもあります。

「自分と対話する」「自分で考える」と思ってみるとき「いつの間にか、恐れを前提に考えてしまっていて、自分や誰かを裁いたり、責めたりする物語のパターン(罠、迷路)にハマってしまっていた」というようなことがあります。

けれども、誰の心の奥にもある神聖性に思いを傾け、静けさへと戻り、

自分自身の心で感じる感覚が、一番しっくりきて安心するところを探り、感じていく時間——

それを、わたしは祈りと呼んでいます。

そして「今のままではダメなわたし」「劣ったわたし」「不幸なわたし」「足りないわたし」「弱いわたし」「価値のないわたし」「病んでしまっているわたし」「ちっぽけなわたし」ではない「わたし」と対話するのが祈りです。

「ではない方のわたし」を思い出し、一致していきたい、そして、わたしはこのことを何度も忘れてしまうので何度も思い出したい、という思いから、

「神さま」「聖霊」と呼び、祈っている、とも言えます。

このことは、心理学(催眠療法)を学んでいた経験から振り返ると「アンカリング(心を安心・信頼・静けさの基点へ戻すトリガー)」と重なるところがあります。

祈りが導く方向転換

恐れの声に従うと、外側の出来事を「問題」として見てしまいます。

でも、愛の声に心を向けると「問題も解決も外側ではなく、心の内側にある」と気づきはじめます。

冷や汗をかくような出来事、青ざめるような体験、“騙された”と思うような瞬間も、

本当は心が「もう一度立ち止まって」と呼びかけているサインだったかもしれない、と心に余白が生まれることがあります。

だから、祈りとは、「外側をなんとかしよう」とする代わりに、内側の平和に戻るという方向転換です。

「あなた」と「わたし」がひとつに感じられるとき

祈りを続けていくと、

「あなた(神様)に話しかけていたつもりが、いつの間にか“本当のわたし”と話していた」

「”できない、足りない、ちっぽけなわたし”がしたとは思えない体験」

「”できない、足りない、ちっぽけなわたし”が考えついたとは思えないアイディアが浮かんで自由な広がりへと導かれる」

というような、不思議な感覚が訪れることがあります。

そして、これは、実は、誰もが経験したことがあることかもしれません。

「できない、足りない、ちっぽけなわたし」「焦り、不安、緊張しているわたし」には、それが思い出せなくなっていたとしても、誰もが、心の奥で、確かな記憶として持ち続けているのではないかと感じています。

「あなた(神様)に話しかけていたつもりが、いつの間にか“本当のわたし”と話していた」

そのとき感じる静けさや安らぎは、「神=わたし」「愛=わたし」という、分離を越えた一致の記憶のようなものといえます。

それは特別な体験ではなく、特別な儀式でもなく、特別な能力を身につけてから行うものでもなく、

誰もがもともと知っている心の状態——

誰もが日常の中で感じていくもの、本来の自然な状態——

そんな道のりを、わたしは「祈り」と呼びたいと思っています。

祈りは、静けさへの扉

祈りは、宗教的な儀式でも、難しい修行でもないと思っています。

「わたしは今、どんな声を信じているだろう?」

「この選択は、心に平和をもたらすだろうか?」

「もし、わたしが光の存在なら、どんなふうに見るだろう?」

と、静かに自分に尋ねてみること。

その小さな瞬間が、祈りのはじまりです。

そして、その中での神さま(聖霊、無条件の愛の存在…)とは、

「どこか離れたところにいる誰か」「権威を持ち、命令や指示を一方的に下してくる誰か」ではなくて、

「ほんとうは、わたしと、一度も離れたことがない、一度も離れることができない、正反対のものを知らない、たったひとつの真実そのもの」です。

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