「お金・経済に関する不安」に心の耳をすませる中で

数年前のことです。

家事をしていたのか、お茶を飲んでいたのか、それともお風呂に入っていたのか・・・何をしていたかはもう思い出せませんが、ふと、こんな考えが心に浮かびました。

「2030年代に、世界が終わる」

文字にすると少し不吉にも見えるこの考えに対して、なぜか心の中には静かな穏やかさがありました。不思議と、恐れは感じなかったのです。

けれども、「この考えが何を意味しているのだろう」と気になった私は、祈るような気持ちで心の中で問いかけていました。

「無条件の愛である神さま。この思いが伝えようとしている、本当の意味、本当の愛のメッセージは何でしょうか?」

そのとき返ってきたのは、言葉ではなく、ただ静かな“静けさ”でした。

その静けさを感じながらも、「でも、もう少し知りたいな」という気持ちも、どこかにありました。

その頃から、家族や友人、そして身近な人たちと「将来の経済」についての不安や心配についてお話を聴く機会が、まるで導かれるように増えていったのです。

それらは、個人や家庭、会社という視点からのものでもありましたが、同時に「日本」や「世界」といった大きな視点からの懸念も多かったように感じています。

そうした話を静かに聴いているうちに、ふと思いました。

「“2030年代に世界が終わる”というのは、もしかしたら、“時間”という直線的な枠を超えて、“今”という瞬間を分かち合いたいという、私の奥にある願いなのかもしれない」と。

私たちはよく、過去の経験や未来の予測の中に、不安や恐れの理由を見つけようとします。

けれども、それは「直線的な時間」という考え方に囚われていたからかもしれません。

「お金、経済についての不安や問題」を聴きながら、それはいつも、“時間”という直線的な枠にあり、同時にその奥にある”今”はすでに解決策を持っていることを、何度も共に思い出しているような気持ちになってきたのです。

「今ここ」に深く目を向けたとき、不安も心配も、自然と輪郭を失っていく・・・レッスンを続けるなかで、そんな体験が積み重なり、信頼そして確信が、育まれてきたように感じています。

私にとってこの話題は、「行動」や「選択肢」の問題というより、「心」の話であり、「想念」のことです。個性や能力、世界の状況という枠を超えた、もっと深い領域に触れるものなのです。

ただ、その気づきの後には、大きな抵抗や自己否定の波もやってきました。そしてそれを赦していく日々がしばらく続きました。その流れのなかで奇跡講座との出会いも訪れました。

「2030年代に世界が終わる」という思いを祈ったときに感じた静けさ。

そして、「今を分かち合いたい」という奥から湧いた感覚。

それらすべてが、後に続くさまざまな出来事とつながっているように思えるのです。

私はかつて「お金のテーマが得意です」と言っていたことがあります。それは、幼いころから何度も「学び」の機会が訪れていたからという意味でもありました。

何度も繰り返されるようにして、恐れや不安、

そして「これはこういうものだ」という絶望感を伴う集合的信念や誤解と向き合い、

”献身”へと導かれるプロセスを通ってきました。

それはまるで、天と地がひっくり返るような深い変容の地点を行き来するような経験でもありました。

そうした恩寵を、一対一ではなく、もっと多くの人と分かち合っていくには、自分の中にある「こうでなければならない私」というイメージを少しずつ溶かしていく必要があったのだと思います。

そして、今、時が満ちているような感覚が訪れています。

個人、家庭、仕事、日本、世界──
どの領域でも「経済の不安・心配・葛藤」を感じている方へ。

その現象を「心」「想念」のレベルから見つめ、
恐れの癒しと解放に関心のある方。

具体的な行動面での管理、引き寄せの法則、現実創造の方法よりも、
自分の心と静かに向き合い、恐れをやさしく包みながら、本当の本心と一致する時間を大切にしたい方。

そして、外側の変化に揺れながらも(揺れても軽やかに戻りながら)
内なる軸を実感していきたいと感じている方。

のびのびと自由に、安心して奉仕や表現を行いながら、
たったひとつの光を感じていきたい方。

すでに奉仕・表現の場で活動されている方も、
さらに深いところで心と一致しながら、
周囲の人々と喜びと平安を分かち合っていきたい方。

そんな思いに共鳴する方に、このクラスを開いています。

今回ご参加くださる方と共に(少人数制)、じっくりと12のレッスンを分かち合いながら、深い解放を共に受け取っていけたらいいなと思っています。

【クラス】祈りとしての経済―愛の循環へと転換する12のレッスン

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