誰かの言葉や雰囲気に怒りを感じたときのお祈り

怒りを感じているとき、心は痛み、苦しく、孤独に感じることがあります。

誰かの言葉、雰囲気、行動に、胸がざわざわしたり、なぜこんなに反応してしまうのかと、自分を責めてしまうこともあるかもしれません。

でも、その怒りの奥には、

「ほんとうは愛されたい」

「理解されたい」

「安心したい」

・・・そんなやさしい願いが隠れているかもしれません。

怒りは、あなたが壊れているしるしではなく、愛を思い出したいという魂のサインです。

この祈りは、そんなあなたの心をやさしく聖なる光の中に戻していくためのものです。

どうか、いま感じていることを無理に押さえつけず、そのままの心で読んでみてください。

あなたの中の静けさが、きっと、すこしずつ戻ってきます。

お祈りします。

聖霊

誰かから何かを言われて怒りを感じるとき、

誰かから匂わせられていると感じて怒りを感じるとき、

それは自己否定の信念の投影であり、わたしがわたし自身にそう言っている、ということを思い出します。

怒りが湧く瞬間は「相手が悪い」と思う代わりに、

「これは、わたしがわたしをどう見ているかを教えてくれている」という気づきの瞬間であることを思い出します。

あなたの聖なる光の視座から見れば、その怒りは攻撃ではなく、「自己否定の信念が癒されようとしているサイン」です。

このことが、癒しへの呼びかけであるということに、どうぞ心を開かせてください。

そして、

「わたしはダメだ」

「わたしは価値が低い」

「わたしは排除されている」

「わたしは選ばれない」

このような声を、わたし自身がまだ信じていたことに気づく鏡の瞬間であることも認めます。

どうかこの信念を、あなたの光で優しく包み、癒してください。

今、わたしは思い出します。

わたしは真の自己価値をすでに与えられた存在です。

わたしの中には、神の光が息づいています。

わたしは、外から評価されるために存在しているのではなく、

内なる力、美しさ、麗しさを通して光を延長する存在です。

わたしは神とすべての兄弟姉妹とひとつのスピリットです。

わたしたちは光そのものであり、この光は決して失われることはありません。

今日、怒りの奥に隠された愛を思い出し、その愛を通して世界を見ることを選びます。

そして、この心の気づき、この癒しを、奇跡へと戻してください

わたしの中で生まれた愛が、あなたの愛の反映としてこの世界にも映し出されますように。

怒りが愛に変わるたび、光が広がり、静けさが戻り、世界がほんの少し優しく見えていることに、

すこしずつ、心を開き、信頼し、ゆだねられますように。

わたしは、この瞬間も、奇跡が起きているということ、そして、わたしがその奇跡の一部であることを信じます。

その通りでありますように(アーメン)

この祈りが、怒りや痛みの中にいる心を、すこしでも光の静けさへ導くものとなりますように。

怒りを通して出会うのは、いつも、わたしたちの中に生きている愛そのものです。

どんな心の状態も、聖霊のもとに運ばれるとき、光へと変わっていきます。

今日も、わたしたちが一緒に奇跡の道を歩めますように。

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