「禁断のモテ術・人たらしセミナー」というタイトルで募集をしてみて、くっきりと見えたものというか、言葉として、文章としても、出てきそうなものがあるので、ブログを書いてみたいと思います。
一言でいうと「言葉を超えたところがすべてである」ということについて、です。
セミナーの募集で「こういう感じのことをお話します」という具体的な内容について、ひさしぶりに作ってみたのですが・・・
その内容というのは、もう、ありとあらゆるところに書いて、話してきたことで、これは、「ここだけの話」というわけでもなく、きっとありとあらゆるところで伝えられていることで。(調べてないのでわかりませんが)
それで、過去に、一時的にですが、このことで、自己否定や罪悪感を感じていたことがあったんです。(いつも同じ話で申し訳ないです、というような感じです)
そのことを、今、ふと思い出して。
でも、そうじゃなかったんだ、そうだった、そうだった。
数年前から「情報も形である。形が重要なのではない」という声を聞いていました。
グループレッスンは「知識や情報を受け取るためもの」と見えることもあるかもしれません。
でも、心が、この「形の交換、目に見えるところでの交換」の中だけにいることを、よしとしている以上、真に満たされているという感覚は思い出せない。
「百円(形)と飴(形)を交換しましょう」という中だけにいる以上、極端な言い方をすれば、未来への不安、死の予感はつきまとう。それでは身体はどうしたって疲れる。
満たされている感覚は一時的なもので、また、「埋めるためのもの」を求めることになる。
でも、AさんとBさんが「百円(形)と飴(形)を交換しましょう」というふうに見えるなかでも(どんなときでも)、
AさんとBさんの関係やその出来事が、聖なる存在に捧げられたなら、聖なる存在を通したコミュニケーションを経験することになる・・・
・・・ということを、わたしは、奇跡講座に出会う前、セッションを通して体験していて、不思議に思っていたけど、奇跡講座に出会うことによって、意識的になっていった。
意識的になっていったことにより、わたしはより安心するようになっていった。
昔、お世話になっていたシャーマンが「不思議は不思議のままで」と言っていたことを思い出す。
不思議を不思議なままにしていたら「向こうから会いにきてくれた」ような感覚。
「百円(形)と飴(形)を交換しましょう」
「セッション料金(形)と情報(形)を交換しましょう」
「時間(形)となにか特別な技術(形)を交換しましょう」
ということを超えた、わたしは、神聖な光を、安心を、分かち合いたい、ということだったんだ。
その光、安心の中にいることで、罪悪感や恐れやコントロールに周波数が合わなくなっていく。
そして、その「神聖な光、癒しの光を、安心を、分かち合いたい」というわたしの本心は、すでに叶えられつづけていた。
「神聖な光、安心・・・」まさにこれが「言葉を超えたところがすべてである」「心にすべての力がある」のすべてのところ。
「豊かさ」の奥にある「真の豊かさ」。
「富」の奥にある「真の富」。
「禁断のモテ術・人たらしセミナー」というタイトルがおりてきて、
わたしは一瞬「(不満)」と思っていました・・・。
なんかもっとこう「神聖なわたし」みたいな感じで行きたい、セルフプロデュースをしたい、というような感じが、漠然とですが、自分の中にあったようで、
でも、わたしは、とくに今年に入ってから「(祈る、尋ねる、そして)声に従う、疑わない、行動する」ということにコミットしていたので、そのまま従うことにしました。
それで、セミナーご予約者の方のお名前を拝見していて、なぜか「光のコミュニケーション、安心の共有」という感覚が、わたしの心の中にハッキリと強く響いてきて。
そうだった、そうだった。みなさんとは、今までも今も、「光のコミュニケーション、安心の共有、分かち合い」をさせていただいていたんだった、という感覚を、はっきりと受け取らせていただいた感じなんです。
今回のセミナーでも。いつもの継続コースやセッションでも。このブログでも。
「光のコミュニケーション、安心の共有、分かち合い」
ここだ。これです。
この「形を超えたところ」の分かち合い、「(真の意味で)受け取ることと与えること」「与え合うこと」を、ずっと、みなさんと共にしてきた・・・
「(真の意味での)受け取ることと与えること」ということが、以前まで感覚的なものだったのですが、奇跡講座に出会って、少しずつ学んでいく中で、わたしの中で・・・統合されていくような、そんな感覚です。
「内なる声に従う」というのは、いつも、このように、「想定外、でも、わたしが心から幸せや喜びや平安を感じられること」へと導いてくれる・・・
ありがたいです。
今夜も、オンラインクラスです。
みなさんの中に(実は)すでにある、癒しの光、安心の分かち合いを、心から楽しみにしております。
誰かが自分のそれを受け取ってくださることで、自分の中のそれが増えていく・・・
「この世界の受け取ると与える」とは真逆の感じです。