一元論(神、無条件の愛、真理といった唯一の実在だけが本当であり、それ以外は存在しない)を学びつづける中で、わたしの中に、
お金のことは、霊的なことではない
という自我の考えが出てきていたことがありました。
そして、わたしは「それは本当だろうか?」と問いかけました。
自我が采配を振るった歴史があるところほど、聖なる存在の助けが必要であり、わたしは「お金、経済のこと、行動」について、霊的な実践の一部として、聖霊の見方を学ぶための機会として、受け入れたい、と思うようになりました。
そして、お金のことについても、わたしは、まずは、自分が自分に正直に、そのとき上がってきている自分自身の感情・感覚と一致しながら、オープンに、よく見てみることの大切さを感じています。
※ここでは、現実的なところではなく、内面的なところの話をしています。目的は霊的な実践、真の自己を思い出すことであって、「経済状況が自分の思った通りになること」には意識を向けません。
「スピリチュアル/お金、経済/真豊かさ、真の富」ということは、わたしにとって、今、研究テーマです。
今週の金曜日の夜のオンラインクラス夏も、前回に引き続き「お金」というテーマで、わたしが学んできたこと、体験談、気づきのシェアをしたいと思っています。
最近、
・お金ってエネルギーなんですよね?
・「出すのが先、入るのはあと」「先に出す」「先に与える」ということについて
この辺りのご質問、同じご質問を、複数件、いただいておりましたので、こちらについて、お話させていただきたいと思っています。
実は、2018年からのわたしの夢が「無料でお金についてのグループセッションをすること」でした。
なぜ「無料で」と思っていたのか、何度も考えてみるのですが、よくわからないままでした。
でも「無料がいいな」と思っていたのです。
もしかしたら、これも、これから言葉にできるのかもしれません・・・。
今、時が満ちたようで、それがこうして実現できることを嬉しく思っております。
すべてが完璧な采配であることを今感じており、わたしのこの夢が叶ったことは、活動を応援してくださっているみなさん、長いお付き合いをいただいているみなさん、すべての関係者のおかげです。
書くと、とても長くなりそうなのですが、一つひとつが、わたしのこの夢を支えてくれていました。
本当に、ありがとうございます。
だから、今、ウキウキです。
それで、今朝、久しぶりに「ソウル・オブ・マネー(リン・トゥイスト)」という本を思い出して、パッと開くと、とても素敵な詩が紹介されていたページだったので、シェアをさせてください。
私は、強さを求めた
すると神は、私が強くなれるための困難を私に与えた
私は、英知を求めた
すると神は、解決することを学ぶための問題を私に与えた
私は、繁栄を求めた
すると神は、働くための脳と腕力を与えた
私は、勇気を求めた
すると神は、克服するための危険を与えた
私は、愛を求めた
すると神は、助けるための人々を与えた
私は、願い事をした
私は、自分が求めたものを何ひとつ受け取らなかった
私は、自分が必要としていたものを、すべて受け取った
ソウル・オブ・マネー(リン・トゥイスト) P.280 より引用
ハズラト・イナヤタト・カーンという方の作品だそうです。
美しいです。心に響きます。
わたしは、あるとき、「あとになってから気づく」ということを、自分自身が何度も繰り返していたことに気づいたとき、今、与えられているすべて、に、ハートを全開にしたい、と心からそう思い、祈りました。
今、目の前のもの。
今、あるもの。
出会いも、関係性も、なにもかも。
「渦中にいるときほど大変」という経験が、わたしに教えてくれたのは、「満ち溢れているときほど、未来や過去にいこうとせずに、今に戻る、内なる神とのつながりに戻る、問いかける」ということでした。このことを、本当に、わたしは、大切に受け取りたいと思っています。
「私は、愛を求めた。すると神は、助けるための人々を与えた」
そのとき、自分には「この人は助けを求めている」と認識できなかった、ということは、よくあることかもしれない。
でも、心に悲しみや痛みと共に残る関係性の奥にあるものは、「愛を与えたい、ほんとうの意味で愛したい、それを感じたい、思い出したい」というあなたの願いに、応えられたものだったのかもしれない。
わからないけど、なぜか、今、そう思った。
ソウル・オブ・マネー(リン・トゥイスト)
もう、どの言葉がふさわしいのかわからなくなるほど、尊敬し、感謝しているマザーテレサのお話も出てきます。