リクエストは「愛のプレゼント」期待から真のつながりへシフトする

前回、期待と裏切りのメカニズム(日常例)という記事を書きました。

具体例を書きながら【ときどきいただくご質問】を思い出したので、ここに置いてみます。

具体例は「パートナーが家事を手伝ってくれない」でした。

その具体例で、

「パートナーはわたしが言えば手伝ってくれるけど、言わないと手伝ってくれない。わたしが言わなくてもわかってほしい(不満)」

※つまり「期待」だけでなく、「リクエスト」はしようと思えばできる状態。

このように「察してほしい」「言わなくてもわかってほしい」など気持ちが出てくるときは、

「境界線の混乱」「愛の顔をした依存」というテーマが浮上しているときかもしれません。

(1)「境界線の侵入=一体感」という誤解

エゴは、エゴによる愛からの恐れを埋めるために「偽りの一体感」を求めます。

これは、相手が自分のニーズを察してくれることを「愛」だと信じ込んできた、切ない誤解の状態です。

わたしたちはただ一体感の偽物を本物だと思い込んでいただけなのです。

エゴ:「私とあなたは一つ(特別な関係)なのだから、わたしが考えていることはあなたもわかっているはず。わかっていない、わかってくれないなら、それはわたしを大切に思っていない証拠(愛していない証拠)」

これは、相手が自分の心の領域に勝手に入り込み、自分のニーズを察して満たしてくれることを「愛」と定義してしまっている状態で、特別な関係・依存の典型的な形です。

(2)「察してほしい」=「自分を差し出す責任の放棄」

ここで、エゴの働きを見てみます。

「リクエストしたくない(察してほしい)」という思いの裏には「自分を表現することへのおそれ」が隠れているということが多いです。

「手伝って」と言って断られるのがこわい、

あるいは「お願いする=自分には力がない」と認めるのが嫌だというエゴのプライドなどが隠れていることがあります。

察してもらうことを期待すれば、もし相手が動かなくても「私は悪くない、相手が冷たいだけだ」という被害者のポジション(エゴの安全地帯)に留まれるからです。


もし、これを読んで「わたし、依存してたかも・・」と苦しくなった場合。大丈夫です。

その気づきこそが、エゴという重荷を下ろすための入り口です。

エゴはあなた自身ではありません。

そのマインドの癖を客観的に眺められたとき、あなたはすでに、その檻の外側に立っています

このようなエゴの働きに気づいたとき、大切なのは「そんな自分を裁かない」ことです。

エゴの複雑なドラマに気づく目的は、自分を責めるためではありませねん。

「あぁ、これは私(真実の自分)ではない。ただのマインドの運動なんだ」と境界線を引いて、自由になるためなのです。

(3)「リクエスト」は真の自立と真のつながりの第一歩

まず最初に、一般的に「自立」は「自分一人で頑張る」という意味で使われがちですが、ここでは「依存からの解放」という意味で使われています。

ここでの自立とは、一人で何でもこなすことではなく、自分の幸せを相手の反応にゆだねないという心の強さのことです。

そして、リクエストをすることは、相手を「自分の欠乏を埋める道具」「愛が足りないわたしを愛する道具」としてではなく「独立した意思を持つ聖なる兄弟」「心の力がある兄弟」として尊重することにつながります。

察してほしい(依存)の場合は、「”わたし”の心の一部として動いてよ(支配・コントロール)」というエゴの働きです。

リクエストする(自立と信頼)の場合は、「わたしにはこれがいま必要です」という自己開示であり、

そして、相手に「与える機会」と「断る自由」を同時に与えるということであり、それは境界線を尊重した上での愛のコミュニケーションです。

「言わなくてもわかってほしい」という願いは、一見すると深い愛を求めているように思えるということもあるかもしれませんが、

よく見てみることで「相手が自分の思い通りに動くこと」を愛と勘違いしている状態だったことに気づくことがあります。

本当の愛は、相手を自分の所有物や自分の一部にすることではなく、一人の人間として尊重することからはじまります。

「手伝ってほしい」と言葉にすることは、甘えではなく、

自分のニーズに責任を持ち、相手に与える機会・断る自由などの「愛を表現する機会」を明確にプレゼントするという、とても勇気ある愛の行動です。

「期待」や「境界線」といったテーマは、関係性の中でも特に深く、時間をかけて癒されていくプロセスかもしれません。

関係性なので、恋愛・結婚・パートナーシップなどのご相談をお受けする中で、何度も繰り返し出てくるテーマでもありました。

そして、ここでいう「時間をかける」とは、「苦しみが長く続く」という意味ではありません。

「自分自身を優しさと慈しみをもって扱うことこそが、あなたにふさわしい」と、何度も思い出していくための時間です。

「この苦しみ(エゴのドラマ)は真実ではなく、自分は神に愛されている存在である」という真理を求め、奇跡を受け取り、体験を通してそれを思い出していく・・

そのプロセスそのものが、自分自身への愛のギフトです。

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