「苦しい」というとき。
「私が責任者だ(何とかしなければ)」と感じるとき。
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創造主をすり替えているという事実
わたしたちは「神によって創造された、神の一部(神の子)」
・真実: あなたの源(ソース)は神であり、あなたの生存、価値、安全はすべて神が永遠に保障しています。
・自我の嘘: あなたは神から離れ、肉体に閉じ込められた独立した存在だ。だから、自分の命(生存、居場所、健康、平穏)は自分の力で維持しなければならない。
「私が責任者だ(何とかしなければ)」と感じるとき、無意識のうちに「自分自身の創造主」になろうとしている。
この「自分で自分を維持しなければならない」という思い込みこそがあらゆる重圧の正体。
身体や状況は「自律的」な存在ではない
身体や目に見える状況は「心が目的を達成するための道具」に過ぎない。
身体は何も決定しない。身体はそれ自体では何の責任も負わない。
あらゆる問題(人間関係、健康、経済、仕事)は「現実の維持」に関わることのように見えますが、すべては「心の階層」で起きている。
「責任者」だと思い込んでいるその「個人としての自分」は、たとえるなら映画のスクリーンの上の登場人物。
映画のスクリーン上の人物が、自分で自分の脚本を書き換えることはできない。
脚本(状況)を癒せるのは、観客席に座り、聖霊と共に映画を観ている「心」だけ。
聖霊の目からは「わざわざ書き換える必要性」がない。
「真の責任」とは何か?
私たちが負っている唯一の責任は「受諾」の責任。
神の子が負っている唯一の責任は、贖罪を受け入れること。
これは、「この苦境を自力で解決する」という責任ではなく、
「この苦境は実在せず、私は今この瞬間も神に完璧に愛されている存在である、という真実を受け入れる」こと。
このことだけに責任がある、という意味。
「この問題を解決しなきゃ」「どうにかしなきゃ」「絶対こうなってほしい」と焦っているとき、
「神の助けが届かない場所が実在する」という自我の主張(誤った信念)を信じてしまっている。
その「誤った信念」を神様にお返しすることが「わたしの仕事」。
「私が自分を救おうとする(コントロールする)のをやめたとき、何が起きるかを聖霊に見せてもらいたい」