すでにある安心に気づく視座

最近、境界線・バウンダリーについてのテーマになることがよくあります。

境界の認識があると、闇から光への移行期、空白期などに、とてもスムーズだなぁ、という感じがしています。

境界線・バウンダリーというと、先入観、無意識的な思い込みのイメージがあったりすることも多いようです。

そして、境界線・バウンダリーというと、心理学などの専門的な介入が必要な場合もあるとおもいますが、

Light Remember版では「どこにでもある話、日常的なレイヤー」として見ていきます。

具体的な行動・言動面でどうしていくか?というよりも、

安心の中での認識の共有、そして、気づきの分かち合いのひとときになったらいいな、とおもっています。

自分自身の心と向き合っていくとき。

自分自身の本当の本音とつながりたいというとき。

祈り、静けさ(光、内なる神聖性、神様)のひとときを持ちたいというとき。

境界が曖昧な場合(境界が強すぎる・弱すぎる等)、

自分の本当の本音がわからなかったり、自分が何を感じているのかわからなかったり、

内観のつもりが、つい、他の人や出来事のことばかり考えてしまっていたり、

することは、よくあることかもしれません。

継続コースなどで「願いがなかなか叶わない」という場合、セッションの回数を重ねる中で「自分の願いだと思っていたけど、自分の願いじゃなかったかも?」「自分の本音だと思っていたけど、自分の本音じゃなかったかも?」という気づきをシェアしていただくことがあります。

この場合も、静けさの中で気づくだけでも、自然と本心と一致して、流れがスムーズになる、ということもよくあることです。

境界について、Light Remember版では「どこにでもある話、日常的なレイヤー」として見ていきます、と書きましたが、境界が曖昧であることというのは、特別めずらしいことではないのかもしれません。

ここでは、具体的な行動・言動の努力をしたり、アドバイスをしあったり、するのではなく、

自分や他者や環境を問題視したり、”闇”を否定したり肯定したりするのでもなく、

すでにある安心に気づく認識を共有するひとときにしたいと思っています。

わたしにとって、境界についてのテーマは、

霊性・直感・インスピレーションをこの世界で機能させるための前提であり、

闇の否定や肯定、具体的出来事の否定や肯定の話でもなく、

ただ、光の視座を肯定する、という感じです。

だから、どこにも悪者をつくらない。

自分のせいにも誰のせいにもしない。

問題視・深刻視を続けない。

対立や闘いではなく、光による真の解決を見るための大きな助けとなるテーマだと感じています。

けれども、光の肯定は、闇を否定しているように聞こえるということは、よくあることです。

だから、「断る、離れる、距離を取る、自分自身を大切にする」というように、心の平和に戻りたい、内なる中心軸を大切にしたい、と思ったときに、誰かに対して罪悪感を感じることがあったり、

行動できない・動けない・言えない・迷う感じ(行動しない・動かない・言わない、ではなく、できない感じ)が続いたり、

「相手を否定したいわけじゃないけど、モヤモヤする」という感じを一人で長時間抱え続けて、負担がかかっている、ということもあります。

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