メタ認知・観照者・ゆるしのまなざし。
目次
メタ認知
どこから見ている?:心の中の「観察席」
何をしている?:現象として気づく・ラベリング
どんな質?:ニュートラル
中心は「気づく」こと。扱うための土台。
- あ、いま不安が来た
- 比較してるな
- 過去の緊張を思い出してるな
- 身体がNoと言ってる
これは「思考・感情・反応を対象として見る能力」。
「気づく」が主体で、まだ「愛」や「静けさ」は本格的には立ち上がらない。
扱えたり距離がとれたりするけれど、まだ「人間の心のレイヤー」にいる。
観照者
どこから見ている?:心の「深い静けさ側」
何をしている?:現象をただ見守る
どんな質?:静けさ・広がり
質がガラッと変わる。
温度のない静けさ、背景の広がり。
観照者視点に入るとき、
- ぼーっとする
- なにもない
- 浸される静けさ
- 「これはわたしのものではない」という感じ
などを感じることがある。
観照者視点とは、
「気づく主体」が、「もっと奥の静けさ」に合流した状態
メタ認知のように「分析・ラベリング」はしない。
判断もコントロールもせずに、ただ「ある」。
観照者視点には、やさしさも厳しさもなく、ただ静けさがあるだけ、という感じがあります。
これはACIMでいうRight Mindの入口。
赦しの眼差し(ACIM)
どこから見ている?:Holy Spirit / ”愛”の側
何をしている?:解釈がほどかれ、責めが手放される
どんな質?:愛・やさしさ・光の質がある。慈しみが自然に滲み出る
ここで初めて 「光」が立ち上がる。
愛の知覚が働く。
赦しの眼差しは観照者視点のさらに奥。
ここでは、
- どんな反応が出ても「責め」がない
- 自我を「敵」でなく「勘違いした子ども」とながめる
- 過去の記憶も愛の下で再配置される
- “長い目”が出る
- 過去を敵として見られなくなる
- 自分への厳しさがほどける
- 涙が滲む
というような 質的変化 が起きる。
ここには必ず「光の質・愛の質・優しさ・慈しみ」がある。
まとめ
- メタ認知 → ライトで照らす(作業的)
- 観照者 → 風景そのものとして在る(背景)
- 赦し → 光の質が戻り、風景が溶ける(愛)
この3つは縦に積み重なる階層構造で、
メタ認知 → 観照者視点 → 赦しの眼差し
という順で深く、静かで、優しいほうへ移行。