「エゴ」の立ち位置(要点のみ)

要点だけ整理してみます。

① エゴは“幻想(illusion)”である

幻想=神からの分離という誤解から生じたすべて(世界・時間・身体・個人・罪・恐れ・分離など総体)

その一部として「エゴ(自我)」がある

神が創造したものではないため、実在(Reality)ではない

分離という誤った信念から生じた「思考体系」

② エゴは「悪者ではない」

否定・攻撃・排除すると、逆に実体化されてしまう。だから、エゴを否定・攻撃・排除する実践ではない

エゴは「敵」でも「味方」でもなく、「間違った選択(誤り)」にすぎない

でも、エゴを肯定・擁護することもしない。エゴの声に従うのではなく、ただの誤り(mistake)として扱う

誤りを罪と混同しないことがきわめて重要であり、救済を可能にするのはこの区別である。
誤りは訂正可能であり、間違いは正すことができる。
しかし、罪は、仮にそれが存在できるとすれば、取り消し不可能なものである。

(中央アート出版 奇跡講座 T-19.II.1:1-3)

※「誤り・間違いを罪と混同していたことに気づく」ということが大切でもあるということ

③ エゴは”教師(目的)”として選び得るもの

エゴを選ぶと、恐れ・罪悪感・分離を見せる

聖霊を選ぶと、平安・赦し・一致を見る(知覚の変容、奇跡)

重要なのは「どちらの教師を選んでいるか」だけ

④ エゴを扱う基本姿勢は「否定せず、気づいて、選び直す

自己否定・戦い・分析は必要ない。

ただ「エゴを選んでいたと気づき、聖霊に選び直す」これだけで訂正(奇跡)が起きる。

※「訂正」は聖霊のお仕事

⑤ エゴは“赦しの教材”として価値がある

恐れ・比較・不安が出たとき、それを光に戻すチャンス

エゴは攻撃対象ではなく、「訂正を受け取る場」

なので、恐れ・比較・不安などに気づいたときは、奇跡のチャンス

⑥ 本当の自己(Spirit)はエゴの影響を受けない

エゴがどれだけ騒いでいようが、真の自己は変わらない

「わたしはエゴではない」という気づきが奇跡を生む

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