4−2:理論編 神さまのサインを見分ける ― 恐れではなく平和をもたらす声

前回の記事では、神さまのサインが「外の奇跡」ではなく、内なる平和の反映として現れることについて触れました。

けれども、現実の中ではときに、

「これはサインだろうか?」「でも少し不安もある・・・」

そんな揺らぎを感じることもあります。

この記事では神さまのサインを見分ける3つの視点を通して、

“愛の声”と“恐れの声”をやさしく区別する方法を見ていきます。

目次

見分けの鍵 ― 「恐れではなく、平安をもたらす」

神さまの導きがもたらす最大の特徴は、静けさ・安堵・やさしさです。

どんなに意外な出来事であっても、その中に「恐れ」ではなく「平和」が流れているなら、

それは神さまの導きのサインと考えてよいでしょう。

一方で、焦り・不安・義務感・特別感が強まるときは、

いつの間にか、心の奥で恐れの声(エゴ、恐れの思考体系)を聞くことを選んだことにより、

恐れの声が”サインのよう”にして装っていることが考えられます。

神さまの導き:

感情の質:静けさ・安堵・優しさ

方向性:愛・共有・ゆるし

※自他に平和をもたらす流れを感じられてきます

恐れの声がサインを装っているとき:

感情の質:焦り・不安・高揚感・義務感

方向性:分離・特別・自己正当化

※比較・防衛・不安の循環が繰り返されていたり、強化されているように感じたりすることがあります

神さまの声は、あなたを急がせることは決してありません。

ただ静かに「今ここに平和がある」と照らしてくれます。

驚きを伴う導き ― やさしさの中の驚き

神さまの導きは、しばしば思考の枠を超えた方向からやってきます。

そのため、最初は「え?まさか」「そんなはずない」と感じることもあります。

しかし、それでも心の奥で穏やかな確信を感じたり、「愛に向かう一歩」として感じたりするとき、

それはやさしさの中にある驚きであり、神さまのサインの特徴です。

そこに「焦り」「不安」「罪悪感」が混ざり始めたら、一度立ち止まり、呼吸を整えてみます。

そして、

愛からくる驚きは、心を広げる。恐れからくる驚きは、心を閉ざす。心にどちらが広がっているか感じてみます。

サインを「受け取る」とは ― 心の準備ができた印

サインが現れるのは、あなたの心が愛を受け取る準備をした、ということでもあります。

それは「新しい何かが起きた」からではなく、

“もともとあった愛”を受け取るゆるしが起きたからです。

ほんとうは、サインとは、外の変化ではなく、内なる変化の証です。

外で何かが起こる、外で何かが変化があるということではなくて、

“見方”が変わるとき、世界が優しく映りはじめるというのが鏡の法則です。

あなたの心が平和を受け入れたとき、その平和が外に投影され、サインとして現れます。

だからこそ、「起こった出来事」よりも、

それに触れたときの心の状態に気づくことが大切なのです。

サインを見誤ったとしても ― 恐れを通しても導かれている

ときには、

「これがサインだと思ったけれど違ったかもしれない」

という経験もあるかもしれません。

でもそれもまた、神さまの導きの一部です。

間違えることを恐れる必要はありません。

なぜなら、たとえ誤解しても、その経験を通してさらに愛を学ぶように導かれているからです。

恐れや混乱に気づいたとき、

「わたしは今、どの声を聴いているだろう?」と静かに尋ねます。

そのように問いかけることこそ、神さまへ心の扉を開くということです。

まとめ

サインを見分ける基準:

「心に恐れではなく、平和をもたらすか」

聖霊の導きの特徴:

驚きがあってもやさしさを伴う

誤解したとき:

それも学びとして愛に戻る過程

実践の方法:

立ち止まり、静けさの中で尋ね、聴く

次回予告

次回からの「実践編」では、このことを日常でどう活かしていくかを具体的な例とともに見ていきます。

神さま

わたしがサインを見るとき、恐れではなく愛の目で見られますように。

焦りの声や特別な期待からは離れ、わたしの心に静けさを取り戻せますように。

わたしの心にはいつもあなたが静けさと共に待ってくれています。

そして、わたしが見誤ったとしても、それすらあなたの愛の導きの中にあると信じます。

今日も、わたしの心が平和を選びますように。

ありがとうございます。

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