スピリチュアルな世界では、「魂レベルが高い」「波動が高い」「感情が安定している」といった言葉を耳にすることがあります。
それらの表現は、成長や癒しを表すための便利な比喩である一方で、どこか“誰かと比べる”ような響きを持つこともあります。
心の教えの視点から見ると、この「比較」という発想こそが、心を再び分離の夢へと誘うものなのです。
わたしは奇跡講座を学んでいるのですが、その中で、次のような感覚がどんどんはっきりとしてきたように感じています。
すべての魂は同じ光の中にあり、差はない。
「レベル」という概念は、幻想の中にしか存在しない。
“魂レベルが高い/低い”という区別は、まだ形の世界――
つまりエゴの比較の枠組みの中にある考え方です。
たとえば、「感情が安定している」「反抗期がない」と聞くと、一見「愛に開いている人」と思えるかもしれません。
けれども、それは単に「感情を抑圧している」場合もあります。外からはその違いを見分けることはできません。
奇跡講座がいう「愛に開いている」とは、感情の波がないことではなく、どんな感情にも抵抗しないこと。
このことは、わたしの中でもずっと感じていた感覚でもありました。
怒りや悲しみを感じても、それを悪いものとして拒絶せず、
恐れを見ても、それを光に運ぶ意欲を失わない――
この「抵抗しない心」こそが、愛に開かれた心なのです。
そしてそれは、感情を抑え込むことでも、感情に飲み込まれることでもありません。
ただ静かに、それを観ていられる心の広がりが育まれていくのです。
静けさや穏やかさは、“条件”ではなく“結果”として訪れるもの。
外側の状態ではなく、内なる誠実さ――“感じることへの正直さ”が、真の静けさをもたらします。
まとめ
奇跡講座の教えでは、すべての魂はすでに完全で、同じ光の中にあります。
そして、これは、わたしの心の奥にずっとあった記憶のような感覚でもあります。
これを読んでくださっている方の中にも、同じような感覚を心で感じているという方がいらっしゃるかもしれません。
比較の中で安心や優越を求める代わりに、今ここにある心の動きを静かに見つめ、どんな感情にも抵抗しない――
その意欲が、真の癒しをもたらします。
「魂レベルの高低」という概念を超えて、わたしたちはみな、同じ光を思い出す旅の中にいます。