わたしたちは「期待外れだった」「思っていたのと違った」と言いたくなるような出来事に出会うことがあります。
それは、心のどこかで「こうなるはず」「こうであってほしい」という小さな脚本を描いていたことに気づく瞬間です。
このように、わたしたちは、自分の脚本を神さまの脚本の上に重ねてしまうことがあります。
けれども、真実の計画はいつも、もっと広く、もっと優しいのだと、心の教えはやさしく思い出させてくれます。
この祈りは、「違った」と感じるその瞬間をやさしく受け入れ、静けさの中で光の視座を思い出すためのものです。
お祈りします
聖なる光よ
わたしは今「思っていたのと違う」という思いを見つめます。
その下には「この形でなければ愛されない」という小さな恐れがありました。
どうかその恐れを、あなたの光で包んでください。
わたしの心が、自分の計画ではなく、あなたの静かな導きを信頼できますように。
期待が崩れるたび、わたしはほんとうの愛を学ぶ機会を与えられています。
形が変わっても、真実の愛の意図は変わりません。
今、わたしは判断を手放し、ゆだね、静かに祈ります。
そして、わたしは今、光の視座から見ると決めます。
そのとき「自分が思っていた形」ではなかったとしても、わたしはその奥に、完全な愛の働きを見出します。
あなたの導きを信じ、愛し、ゆだねます。
ありがとうございます。
「期待外れ」「思っていたのと違う」と感じるとき、
それは“わたしの思い通り”が崩れた瞬間であり、同時に“光の思い通り”が働き始める瞬間でもあります。
光の視座に立てば、失望は愛を思い出すための呼びかけに変わります。
思っていたのと違っても、ほんとうの計画は、いつも優しい無条件の愛の中で進んでいるのだと、静けさの中で思い出せますように。