「もう人のせいにしない」と決めたそのあと

「もう誰かや何かのせいにしたくない」

「自分が悪い・相手が悪い、被害者ー加害者、というような見方、考えをやめたい」

「傷ついた、傷つけられたという見方、考え方をやめたい」

そんなふうに、わたしは思ったことがありますが、これを読んでくださっている方の中にも、そんなふうに思ったことがある方がいらっしゃるかもしれません。

なんとなくですが、たくさんいらっしゃる気がします。

わたしの場合は、たとえば、

「もう誰かや何かのせいにしたくない、誰かや何かのせいにするのを本気でやめる」

こんなふうに、心の底から思ったあとも、何度も何度も「誰かや何かのせいにするような考え」は出てきました。

かすかな動揺、自分が反応していることを曖昧にせずに、妥協せずに、ゆるすということを続けていると、何度も何度も「誰かや何かのせいにするような考え」に気づかされます。

先日も、友人からおすすめしてもらったアニメの映画をみながら、心がぐらぐらしているのを感じて「この人が悪者で、この人がかわいそう!」というような考えが出てきていました。

このときのわたしは、はたからみたら何も感じていないように見えたかもしれませんが、心がとても揺れていることを感じていました。

わたしは、その映画に心をぐらぐらさせながら「この人が悪者で、この人がかわいそう!」「正直ものはこうしてバカをみるんだ、不公平だ」などの考えがいろいろ出てきていました。

わたしは「心の動揺を外側のせいにしたくない、誰かや何かのせいにするのを本気でやめる」と決めていましたから、立ち止まって、祈って、訂正を求めました。

ちなみに、もっと前のわたしだったら、映画を見たときに「自分の心の動きは感じていない映画評論家」のようなときもあったと思います。

どちらでもいいかもしれませんが、心を今のそのままに感じられる、というのは、生き生きした感じがあります。

内観をつづけていくと、このように、ちょっとした心の動揺に気づく、落ち着いて立ち止まれるようになるといいます。

そして、これを「まぁ、いいか」と曖昧にせずに、妥協なくゆるしていきたいです。

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