「いい子でいないと愛されないと思い込んでいた」(気づきのシェア)

織絵さん

こんにちは

織絵さんのブログのお祈り、とってもしっくりきて、優しい気持ちになれました。

前回、織絵さんが内観で感じるやり方を一緒にやってもらって、なんとなくわかってきたので、神様と一緒にやるようにしました。

書き出しも大切ですが、こちらも本当に良いですね。




(中略)




そんなこんなをしていたら、昨日、親と口論になりました。




(中略)




口論していても、いつもなら私が我慢していたのですが、今回は我慢しませんでした。

このことから、私は本当に「いい子」でいないと愛されないと思いこんでいたんだな、と感じました。

そしてどこか、親を面倒みなきゃいけない(でも本当はみたくない)って思い込んで、それを自分に押し付けて、だから親も私に対して、甘えがあり、共依存にしてしまっていたんだなと痛感しました。

そして、いい悪いはぬいて、自分の気持ちと行動を一致させていくことの大切さも学びました。



前回織絵さんが一緒にやってくれた内観の「感じる」をしていったら、親に復讐したい気持ちがまだ残っていて、でもそれをさらに深く潜ると、本当は「死にたい」って気持ちを隠していたことに気が付いたんです。



遡れば、私は十代の頃、多感な時期でもあり、「何故生きなくてはいけないのか」とか「何のために生きるのか」とても考えていたことがありました。

「この世界に救いなんてないのに」って気づいていて、「誰かこの世界から救い出して」って望んでいたことを思いだしたのです。

実際に自殺する勇気はなかったのですが、親に私を殺して欲しかったんです。

それでもう一度やり直したいって望んでいたんです。



織絵さんがすすめてくれた「自分を愛して!(リズ・ブルボー)」の本の中の、自殺の項目を読んで、

「アルコールでも過食でも逃避の道具としていて、その結果命を失う人もいます。それらによって、突然死ぬのではなく、徐々に死んでいくだけなのです」って書いてあり、本当その通りだと思いました。



また過食が出てきていて、内観したり、過食の項目も読んでいたけど、終わらなくなんでだろうと思っていましたが、こういう理由がまだあったのだな、と改めて思い出し、感じることが出来ました。



死にたいを隠していたのだから、死にたくなる現実、辛い現実を作り続けるのは、そりゃなくならないはずですよね。



死にたかった過去を思い出して、やっぱりエゴと同一化していた十代の頃は、本当に生きるのが辛かったです。



グループレッスンの一番はじめで、織絵さんが「本当に望みは神が欲しかった」と織絵さんが言っていて。

そのとき「らしいぞ」でもいい、と聞いて。

そのときは、はっきりとした意思をもっていませんでしたが、このことを思い出して、本当の願いは「これしかなった」という認識に変わりました。



そして織絵さんが祈りをブログで書いてくれた様に、私もこの世界で神の恩恵をうけ、たくさんの人と愛を与えあいたいって思いました。

ブログの素敵な祈り、ありがとうございます。

Mさんより(継続コース、グループレッスン等)

※許可をいただいた上で掲載しています。

ありがとうございます🌞

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