光のコミュニケーションのその前に

今朝お祈りをしていると「バウンダリーについてのブログを書いてください」と言われたので、バウンダリーについてのブログを書きます。

【こんなときにおすすめの記事です】

(1)「恋愛」や「結婚」や「大切な誰かや何かとのこと」や「お金」や「仕事」などについての問題や願いや執着の苦しみがあって「なんとかしたい苦しみ、なんとかなってほしい苦しみ」がある場合

(2)(1)について、現時点ではそうではなくても、過去にこのような経験がある場合

(3)怒りがつづいていて苦しいという場合

(4)感情のアップダウンが激しいという場合

(5)(1)〜(4)に、自分が該当するという自覚ができていて「でも、本当は心の平和を望む」という場合

【日常生活の中で使いやすいかもしれない問いかけ】

健全で柔軟なバウンダリー(境界線)を育みたいとき用の問いかけです。


この問題は自分の問題だろうか?相手の問題だろうか?

このことは自分の領域だろうか?相手の領域だろうか?神の領域だろうか?

(誰かを助けたいと思うとき)このことでわたしの心は平和を感じられているか?相手の問題を背負おうとしていないだろうか?

(誰かが喜んでくれたらいいなと思うとき)相手が喜ばなかったとしても、わたしは落ち込まないだろうか?相手が喜ばなかったとしても、わたしの心は満たされているだろうか?

この行動(行い、仕事、活動、表現)によって、わたしがわたしのエネルギーを奪っているような感覚はないだろうか?

相手の「笑顔」を求めているのか、それとも、相手と共に心の平安を思い出したいのか?「二つに一つ」だとするなら、どちらだろうか?

(誰かを助けたいと思うとき)相手をかわいそう、無力な存在と見ていないだろうか?

相手がどのように反応しようが、どのような表情をしようが、その奥にある真実とつながっていただろうか?

(この相手や全体の幸せを願ってしている行動の中に)自我の犠牲の信念が混ざっていないだろうか?

※いくつか書きましたが、いくつかあなたの心が「これがいい」というものがあったら、ある一定期間、その一つだけを練習していく(何度も思い出していく)、というのもいいかもしれません。

※バイロンケイティワークの「自分の領域、あなたの領域、神の領域」と同じです。

※相手のものは自分のものじゃないのに、自分のものだと思っていると「がんばってるのになぜか問題が解けない」となったり、「何日経っても怒りがおさまらない」となったり、となることがあります。

「バウンダリーのレッスン」がある方は、バウンダリーをオーバーされたことがあったり、あるいは、硬すぎるバウンダリーにより拒絶された悲しみがあったり・・・という経験があることがあります。

そして、このことは「特別にめずらしいこと」ではないのですが「特別にめずらしい感じ」がすることもあるかもしれません。

このバウンダリーについて向き合う決意をするということは、ある意味「自我ができれば見てほしくないと思っていること、曖昧なままにしていてほしいと思っていること」と向き合う勇気がある、そして、真の強さを思い出しはじめている、その準備ができている、ということだとわたしは感じています。

これを書きながらなんとなく「あなたのお仕事はあなたのお仕事、わたしのお仕事はわたしのお仕事」と思い出していく(練習していく)なかで、

「神様のお仕事は神様のお仕事」という感覚が自然と養われていくような、そんな感じを感じました。

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