愛から断るということについて

恋愛、パートナーシップのお悩みを聞いているなかで、「断れないんです」というお話を聞くことがあります。

「普段から断るのが苦手なほうなんです」という場合と、

「普段は断れるほうなんだけど、恋愛やパートナーシップ、ある特定の相手との関係になると、急に断れなくなるんです」という場合があります。

わたし自身の人生を振り返ると「普段から断るのが苦手なほうなんです」も「普段は断れるほうなんだけど、恋愛やパートナーシップ、ある特定の相手との関係になると、急に断れなくなるんです」も、そして、「(相手が誰であっても)断りたいときは断る」も経験しています。

そして、今、「断る」ということについて、聖霊から学んだこと、経験したことを、分かち合いたいと思います。

※これは前回のオンラインクラスでも、ちらっと話したことでもありますが、文章にしてみたいと思いました。

そして、2023年頃、「まるで急に勧誘を引き寄せるようになったような」というようなことがありました。

「勧誘される」ということがしばらく続いているように感じて「これはなんだろう?」と思っていたことを覚えています。

このとき、わたしは「(相手が誰であっても)断りたいときは断る」という感じで、でも、「勧誘される」ということが続いている中で、違和感というか、「なにかある」「なにかここから学べること、受け取れることがあるはず」と思い、しばらく、赦し、祈りつづけていました。

同時進行で、わたしは奇跡講座のワークブックレッスンをしていたこともあって、「自分の中に出てくる愛以外の想念への攻撃をゆるす」というようなことをしていました。自我、闇の想念への攻撃をゆるす、というような。

そんな日々を過ごしている中で、当時のわたしは「かなりややこしい絡まれ方をした」と言いたくなるような勧誘に遭っていました。

遠い知り合いの知り合いみたいな方(Iさん)から、長文のLINEが何通も届き、勧誘をされていたのです。

「いつものわたし」だったら、多分、ふつうに、無視して、LINEをブロックしていたと思います。

でも「ああ、うっとおしい。ややこしいな」と思いながら「LINEをブロックして無視」というのは、なんとなく、神様っぽくない。

「この人混乱してるな。可哀想に」というのも、神様っぽくない。

同時に、わたしは、このような見方、否定性、兄弟である神の子を違うものにしようとする思いが、自分の中に次々と浮かんでくる中で、「こんな愛ではない考えに心を束縛するのはもう嫌だ!」みたいに思っていました。

一体、神様は、聖霊はこの出来事をどう解釈するんだろう?

イエスには、これが、どう見えるんだろう?

というか、このことで、わたしが何を、わかっていないというのか???(わたしはわかってると、思うけど)

そんなふうに一通り反抗したあと、やはり、わからないので、祈りました。

「聖霊 この方(Iさん)のことを、わたしは今、うっとおしい、ややこしい人、混乱したかわいそうな人と見ています。けれども、このような見方をするのは攻撃の見方で、わたしが見たくてこのように見ているということなんですよね。わたしは自分の見方が間違っていることを望みます。自分の間違った攻撃の見方ではなくて、あなたの見方で見たいです。どうぞ、あなたの見方で見せてください」

と祈りました。

すると「うっとおしい、ややこしいわたし」「混乱した惨めなわたし」を自分で作り、自分で否定して、責めていたことを、まず、思い出したのです。

そのあとに「もう、満たされている」という感覚がハートの奥から、広がってきたのです。

「すべて祝福されている。過去も祝福されている。もう、こんなにも満たされている」

これは、感覚的なものでした。

そして、このメッセージがわたし自身と、そしてIさんにも、共通して与えられているもののように、なんとなく、感じられて、うれしくなったのです。

というか、Iさんは、聖霊と共に、このことをわたしに伝えるために、わたしにLINEを送ってきてくれているのではないか?

そう思うと、聖なる存在のなかで、わたしたちはひとつであり、本当に一つひとつが、聖なる存在により愛されている。愛し愛されている・・・という感覚に、深く、深く、安心と共に、沈みこんでいくような感じになったのです。

このような感覚が広がり、わたしは、この満たされた、感謝の思いで、「できる限りの誠実さが現れますように」という思いから、断りのLINEを書きました。

愛から断るって、こういうことかもしれない、と思いながら。

そして、そのレッスンを運んできてくれたIさんに感謝が溢れながら。

すると、ピタッと、返事がこなくなったのです。

そういえば、あれから、1年2年くらい経過している気がしますが、わたしが返信して以来、突然連絡がこなくなりました。

愛と感謝で断るということが、ありうるということを、わたしに教えてくださったことに、神の采配、聖霊、神の子に感謝します。

そして、わたしは、また「かなりややこしい絡まれ方をする勧誘」にあうことを楽しみにしている。(バイロンケイティワークより )

なぜなら、こんなにも満たされているという内なる愛の源泉へと、再び戻ることができるから。わたしは、すでに、こんなにも満たされているということを、思い出すことができるから。

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