「〇〇がない、足りない」ときに、本当に「ない、足りない」もの

わたしは、最近、また「時間がない」と言いたい気持ちが出てきて、今、思い出したこと。

「〇〇がない、足りない」と言いたいとき、その考えが浮かぶとき。

能力がない(できない)。

時間がない。時間が足りない。

体力がない。体力不足だ。

お金がない。お金が足りない。

思いやりがない。

勉強不足だ。

感謝が足りない。

自信がない。

確信がない。

誰かや何か(ニュースや映画など)を見て言いたくなることもあるかもしれないし、日常生活の中でついぽろっと出ることで気づくこともあるかもしれないし、マインドを観察していて気づくこともある。

能力がない(できない)。

時間がない。時間が足りない。

体力がない。体力不足だ。

お金がない。お金が足りない。

勉強不足だ。

感謝が足りない。

自信がない。

確信がない。

・・・自分を振り返って思うのは、これはいとも簡単に自我の言い訳、正当化になるということです。

ここで自ら、自分の見方が正しいことを証明してくれる同盟者を探しに行って「やはり、わたしは、ない、足りないんだ。(そして、みんなも、そうなんだ)」という「自我の正しさ」を確かなものにしていく。

自我の「ない、足りない、不足している」ということがありえると、固く、信じている。

「みんなで、ない、足りない」という「(自我の)みんなと一緒」「(自我の)絆」。

わたしは本当の自由を望んでいます。

そして、そばにいる人が、「ない、足りない」と言いつづけていて、不足を望み、変容を望まないなら、それは、本当にそのままでいいと思えるようになってきつつあることが、ありがたい。

本当に、そのままでよかったんだ。

以前は「変えたい」という思いが何度も何度も出てきていた時期もあったけど、今は、本当にありのままで完全なのだからそのままを尊重したい、と思えることが嬉しい。

そして、わたしは、自分の中に「ない、足りない、不足している」という思いが出てきたことに気づいたら、立ち止まり、認めて、祈る・・・ということが、わたしは、ありがたい。

そして、今、また、思い出したい。

どんなときでも「ある」ものがある。

その「どんなときでもあるものの、認識がない、足りない」ということを見る代わりに、「時間がない、体力がない、お金がない、思いやりがない、自信がない、足りない・・・」と言っているということを、忘れずにいられますように。

そのように目的を明確にすることで、今、自分が自分の中にすでにある、認識できていないものを、認識できますように。

その勇気をすでに与えてくださっていることに感謝します。

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