2022年まで「心と体と魂は繋がっている」というようなことを教わったということもあって「そういうものなのか」と思っていたことがありました。
「そういうものなのか」と思っていて、観察を続けていると、確かに、繋がっているような、いないような、という感じがしていました。
わたしは長い間、原因がはっきりとしない体調不良がありました。
もちろん、病院には行きました。
かなり長い間「食事療法」「自然療法」「〇〇法」を試していたこともあります。ほんの一瞬だけど学びに行ったこともあります。
保険外で受けることができる医療も受けました。
サプリメントや漢方なども試していたことがあります。
さまざまなボディケア・治療(体、気、エネルギー、波動、霊、魂、なんでも)に通いました。
セルフケアも、その頃は几帳面にやりたかったので、几帳面にやっていました。
そんな中で、奇跡講座に出会って、わたしの中の「心」そして「体」そして「スピリット」というものについて読むかなで、わたしの中にあった黒い小さな毛玉というか糸玉(?)のようなものが、ほろほろほろ・・・するするする・・・と解けていく感覚がしました。
そして、わたしは、「心と体と魂は繋がっている」←この認識ではなくなりました。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
わたしは、何を、望んでいたんだっけ?
このあとも、しばらくの間は「ボディケアに通いたい」という感覚があったので通っていました。
この頃から、わたしは少しずつ「わたしの仕事」について「聞かれたら濁さない、隠さないでみる」という感覚も受け取っていたので、聞かれた場合は、そのままを、その時々の、わたしなりの言葉で、ありのままを話すように練習していっていました。
その話の流れの中で「心と体と魂は繋がってるんですよね」という言葉を聞くことが続いていたことがありました。
この世界の中に真理はない。たったひとつの真理への道はたくさんあって、そのすべてを思ったとき、わたしは今、敬意を感じます。
いろんな考えや感情が出てきたことは、過去にはありましたが、今は、ただ、そのすべての道が、等しく、真理のもとで輝いていて、その叡智に思いを馳せようとすると、言葉は見つからなくなってしまう。
違うと思っていたけど、違いがない、同じでした、という祝福。安心。
その頃、わたしは「次の旅に出よう」と言われているような気がして、旅立ったのでした。
わたしが、この「自分治療の旅」をする中で、一体、何を、どんなメッセージを受け取ったかというと「そのままでいい、本当にそのままでいい」でした。
病院も、〇○療法も、そこで出会ったすべての人々も、治療する側の人々も、される側の人々も、わたしも、この謎の不調も、なにもかも。
そのすべてが、愛ゆえであり、完璧であり、どこにも問題がなかった、というような感覚。
「すべてがそのままでいい」
そのメッセージが、わたしの心の中で、はっきりときこえて、この静かな心の中にとどまってみたい、と思いました。
「そのままでいい、本当にそのままでいい」
「すべてがそのままでいい」
時間とお金はかかりましたが、かける価値はあった、と思っています。
この思いが、心から、意識に上がってくるということほど、ありがたいことはなくて、それは、その旅の中で出会ったすべての人々(の中にある光)とのつながりのおかげだと感じています。
実は、小学生の頃「風邪を引くのが楽しみ」だったんです。
なぜなら「学校を休めるし、母とずっと一緒にいれるから」でした。
さらに、わたしのテンションを上げてくれたのは「風邪を引いたら、いつも行く内科」だったんです。
その内科は、空気がシンとしていている感じがして、心が落ち着いていたんです。
先生の声は、優しくて、まるくて、それにいつも安心していました。
でも、こんなことを思うのは「いけないこと。よくないこと。悪いこと」と思っていたから、罪悪感もありました。
これを書きながら、時を超えて、すべてに「そのままでいい」が流れているような感じがしてきました。
もしかしたら、わたしは、ずっと、風邪を引くのが楽しみだったんじゃなくて、スピリットとのつながり、スピリットの喜びを感じたかっただけかもしれません。
いつのまにか、過去の「確かにそこにある闇」が、光に置き換えられているかもしれない。
・・・これを書きながら、そんなことを思いました。
わたしは、少しずつ少しずつ「体が不調になって問題だ」「この不調をなんとかしなくっちゃ」という見方についての赦しと祈りを続けています。