2018年からの定番メニュー、継続コースについて。
継続コースの中で、(1)わたし自身がどのようなプロセスを歩んできたかということと、(2)継続コースについてのよくいただくご質問について、お話ししてみたいと、思います。
今回は、わたし自身が歩んできた道のりについて、裏面のようなところを、今思い出すところで、書いてみたいと思います。
2018年、インスピレーションを受け取り、セッションの募集を開始しました。
セッションの中で、わたしの心の真ん中にいつもあったのは「鏡」「判断しないこと」「この奥に必ず愛があるはず。この方の愛はなんといっているのだろう?」でした。(このことについては、また今度詳しく書きたいです)
2018年〜2022年までは「心療内科に通院中の方、服薬中の方、〇〇の方はお断りしています」という但し書きをしていたと思います。「お申込み後にお断りさせていただく場合もあります(その場合は全額返金します)」ということも書いていたことがありました。
2022年〜2024年頃に「〇〇の方はお断りです」はなくしました。今ではどなたでも大歓迎です。
そのとき学んでいた学び(伝統的シャーマンのもとでの学び、心理学のカウンセラーのもとでの学び)と照らし合わせた上で、そのようにしていました。
正直、このことについて、わたし自身迷いや葛藤はありましたし、自分自身が分かち合いたいと思っていることと矛盾していることもあるとき気づいたのですが、当時のわたしは、それが精一杯でした。
しかし、2021年〜2022年頃、わたしの中で何かが、大きく変わっていっている、というような感覚がありました。
その中で、これまで学んできた学び(伝統的シャーマンのもとでの学び、心理カウンセラーのもとでの、トラウマ治療・催眠療法・共依存についての学び)に完了のときがきたと思いました。
あるとき、以前、共感できていたことに共感できなくなっていることに気づいたのです。
違う方向に心が動いていることを強く感じたのです。
学ぶ中でも、完了のときも、葛藤はありましたが、今では、お世話になったすべての方に出会えたこと自体に深く感謝しております。
そして、2022年以降のセッションを通して、この経験も、なにか、個人のわたしが想像もできないような”大いなるものの計らいゆえだった”という感覚が、だんだんと強くなっている感じがしています。
できているか、できていないか、わかってるか、わかっていないか、言行一致しているかどうかは別として、いつも、わたしの心の真ん中にあったのは「鏡(この世は心の鏡である)」でした。
何年も前から心の感覚、声、直感を頼りに動いてきていて、自分でもよく説明できない、よくわからないことはたくさんありました。そして、その「説明できない、わからない」が、今、少しずつですが、こうして言葉にできてきている感じがしています。
「共感できていたことに共感できなくなっている」そして「問題が見えなくなっている」ということについて。
このことは、最初、とても戸惑いました。
何かがなくなってしまった、欠如してしまった、と思いました。
「自分が心のない、冷たい人間になったんじゃないか」という考えが浮かんできたことを、今でも覚えています。
その数ヶ月後に、奇跡講座と出会うことになり、少しずつテキストを読み進めていく中で「第16章 幻想を赦す I.真の共感」というところを読んでいて、わたしは、心底ホッとしました。
わたしが「なくなった、欠如してしまった」と思っていたのは「特別な関係を結ぶための苦しみの共感共有、共感についての自我の解釈(奇跡講座 T.16.Iより)」に関係していた、と思いました。
今では「苦しみに共感しにいこうとしている心の動き」があれば、立ち止まって赦す機会として受け取っています。
けれども、こうやって、文章にしてみて「苦しみに共感できなくなり、問題が見えなくなっている」というのは、
本当に、ありがたいこと、祝福を受けつづけていたんだということ、その祝福をわたしが何度も疑い、「できないふり、無力なふり」をしようとして、全力で受け取り拒否しつづけていたことだったんだ・・・と、
なんだか、わたし自身、今、スッキリとしたような感覚、それと同時に、大いなる存在と、出会うすべての人々の中にある神聖性、すべてへの感謝が溢れています。
祈りにも、感謝です。
ちょうど、昨日、突然、心の中に現れて、祈りを捧げた聖ディンプナにも改めて感謝です。
(つづく)