「投影」について。
「相手に見ているものが自分にある」「禁止していたものを相手に見る」
とよく言われることがありますが、
これはいつも同じ意味で使われているわけではありません。
A. 性質レベル(性格・特徴)
- 真面目
- 正しさを疑わない
- 怖がり
- 支配的
- 依存的 など
B. 役割・立場レベル
- 進む人/止まる人
- 正しい人/間違っている人
- 強い人/弱い人
- 見る側/見られる側
C. 心の機能レベル(防衛・回避・正当化)
- 罪悪感を外に出す
- 恐れを自分から切り離す
- 自分を守る物語を維持する
Aは「入り口」として、とても大切だと思います。
たとえば、「あの人は厳しくていじわるだ」と思っていた → 「自分が自分にいじわるしてた」
この気づきも、まさに”気づき”で、ちゃんと価値があり、大切です。
しかし、Aだけでは、投影の理解が「性格の矯正」や「内省の義務」「宿題としての内観」など、自己改善・自己管理・自己否定にスライドしやすいことがあります。
これは、法則が意図していない方向です。
Aだけだと関係性の力学が抜け落ちることがあります。
ほんとうの本音をそのまま見ていくこと(内省)、
そして、Aに気づいて、B・Cへと進む・・
という流れです。
「禁止していたものを相手に見る」とは、
C:自分の中で排除された要素を守るために
B:相手をその役割に配置して
A:その性質として知覚する
という多層的な現象ともいえます。
何が起きているかの核心はCにあります。
「禁止していたものを相手にみる」と言いますが、その禁止(そして、否定、判断・・)を発動させているのがCなので、Cが主題、という感じです。
そして、そもそもが、性格の矯正、内省の義務など、自己改善・自己管理・自己否定などを目的としていないので、「こうすれば、ああなる」「〇〇しようとなんとかする」というのが成立しません。