お金が関わる関係に隠されているもの(前編)からの続きです。
恐れを光に運んでいく過程で、わたしはある懐かしい感覚と再会しました。
透明化・単純化期での再会
その何年も前、いわゆる「透明化・単純化期」を過ごしていた頃、心の中でこんな感覚を受け取っていました。
実は、ややこしいことは何もない。
問題の答えはすでに受け取っていた。
その答えを心が受け入れるとき、
すべては自然に、光の延長として行われる。
その感覚が、恐れの奥からもう一度わたしの前に現れたのです。
それは、わたしの心に深い安らぎと落ち着きをもたらす、不思議な再会でした。
光を再び流すということ
「よくわからないまま」で終わらせずに、誰かと共に、光のもとで見ていくこと。
わたしにとって、セッションとはそのような機会でもあります。
それは、自分の中で起こった解放をさらに深く、静かに広げていく流れのようなものです。
そして、わたしたちが受け取った癒しは、けっして閉じたものではなく、自然に、次の人へと流れていく。
こうした優しい微かな気づきが、何度も体験として現れるうちに、少しずつ確信が育まれていくのを感じます。
この何年間かの対話の中で、わたしが受け取った最大のギフトは、
「恐れの地図」、そして「罪悪感の奥にずっとあった、必ず応えられている祈り」でした。
クラスが形を持ちはじめたとき
内なる気づきを言葉で分かち合いたいと思ったとき、
なぜかその流れは“文章”ではなく、“場”のほうへ導かれていくのを感じていました。
おそらく「恐れ」というものは、文字で扱うよりも、
誰かと目を合わせ、今を共有する中で、もっと自然に光へ戻っていくのかもしれません。
そして、今という沈黙の中で、その光を強く感じることがあります。
それは、まるで神からのヒーリングエネルギーが流れるために道を開け、
その流れに身を委ねるような感覚です。
このクラスは「誰かを助ける」ためではありません。
「真の意味での豊かさ」「真の意味での与える=受け取る」ということを、みんなで共に思い出していくための場。
受け取った光を流すことで、愛の循環に心を開いていくための場です。
その流れの中で、わたし自身も含めて、わたしたちの中に残っていた「不足感」「特別であることへの恐れ」「与えることへの罪悪感」も、静かに光へと溶けていきます。
全体性への貢献
神さま
「わたしがすること」ではなく、
わたしを通してあなたが働くところを、どうぞ見せてください。
真の豊かさというものを思い出させてください。
受け取ることと与えることはひとつであるという真理を、
どうぞ学ばせてください。
わたしにはわからないので、体験を通してどうぞ学ばせてください。
「それってどういうことなんだろう?」という未知へのわくわく、静かなわくわくと共に、
この祈りを生きること――
それが「ほんとうの意味で生きる」ということなのだと思います。
恐れの奥にあるもの
ですので「祈りとしての経済」では、「恐れを見ないままポジティブに考える」のでもなく、また「恐れを手放すこと」や「誤解を解くこと」だけを最終目的としているわけでもありません。
むしろ、「光に戻ること」「真の自己との一致」のために、恐れをよく見るということを大切にしています。
そうして見つめていくうちに、恐れと願望というコインのような思考の奥に、本当の根源――愛そのもの――が現れてくるのです。
すべての恐れは、なんの実体もないものであった。
ただただ、喜びに導かれながら、
苦しみながら生きることから幸せに生きることへと
開いていくだけだった。
その愛の流れを感じることは、生きる喜びそのものです。
*お知らせ*
少人数制のグループレッスンです。シェア、ワークの時間も予定しています。
【クラス】祈りとしての経済―愛の循環へと転換する12のレッスン
日曜朝クラス(11月23日スタート)残り1名
日曜夜クラス(12月7日スタート)残り3名