お金が関わる関係に隠されているもの(後編)

お金が関わる関係に隠されているもの(前編)からの続きです。

恐れを光に運んでいく過程で、わたしはある懐かしい感覚と再会しました。

透明化・単純化期での再会

その何年も前、いわゆる「透明化・単純化期」を過ごしていた頃、心の中でこんな感覚を受け取っていました。

実は、ややこしいことは何もない。
問題の答えはすでに受け取っていた。
その答えを心が受け入れるとき、
すべては自然に、光の延長として行われる。

その感覚が、恐れの奥からもう一度わたしの前に現れたのです。

それは、わたしの心に深い安らぎと落ち着きをもたらす、不思議な再会でした。

光を再び流すということ

「よくわからないまま」で終わらせずに、誰かと共に、光のもとで見ていくこと。

わたしにとって、セッションとはそのような機会でもあります。

それは、自分の中で起こった解放をさらに深く、静かに広げていく流れのようなものです。

そして、わたしたちが受け取った癒しは、けっして閉じたものではなく、自然に、次の人へと流れていく。

こうした優しい微かな気づきが、何度も体験として現れるうちに、少しずつ確信が育まれていくのを感じます。

この何年間かの対話の中で、わたしが受け取った最大のギフトは、

「恐れの地図」、そして「罪悪感の奥にずっとあった、必ず応えられている祈り」でした。

クラスが形を持ちはじめたとき

内なる気づきを言葉で分かち合いたいと思ったとき、

なぜかその流れは“文章”ではなく、“場”のほうへ導かれていくのを感じていました。

おそらく「恐れ」というものは、文字で扱うよりも、

誰かと目を合わせ、今を共有する中で、もっと自然に光へ戻っていくのかもしれません。

そして、今という沈黙の中で、その光を強く感じることがあります。

それは、まるで神からのヒーリングエネルギーが流れるために道を開け、

その流れに身を委ねるような感覚です。

このクラスは「誰かを助ける」ためではありません。

「真の意味での豊かさ」「真の意味での与える=受け取る」ということを、みんなで共に思い出していくための場。

受け取った光を流すことで、愛の循環に心を開いていくための場です。

その流れの中で、わたし自身も含めて、わたしたちの中に残っていた「不足感」「特別であることへの恐れ」「与えることへの罪悪感」も、静かに光へと溶けていきます。

全体性への貢献

神さま
「わたしがすること」ではなく、
わたしを通してあなたが働くところを、どうぞ見せてください。
真の豊かさというものを思い出させてください。
受け取ることと与えることはひとつであるという真理を、
どうぞ学ばせてください。
わたしにはわからないので、体験を通してどうぞ学ばせてください。

「それってどういうことなんだろう?」という未知へのわくわく、静かなわくわくと共に、

この祈りを生きること――

それが「ほんとうの意味で生きる」ということなのだと思います。

恐れの奥にあるもの

ですので「祈りとしての経済」では、「恐れを見ないままポジティブに考える」のでもなく、また「恐れを手放すこと」や「誤解を解くこと」だけを最終目的としているわけでもありません。

むしろ、「光に戻ること」「真の自己との一致」のために、恐れをよく見るということを大切にしています。

そうして見つめていくうちに、恐れと願望というコインのような思考の奥に、本当の根源――愛そのもの――が現れてくるのです。

すべての恐れは、なんの実体もないものであった。
ただただ、喜びに導かれながら、
苦しみながら生きることから幸せに生きることへと
開いていくだけだった。

その愛の流れを感じることは、生きる喜びそのものです。

*お知らせ*

少人数制のグループレッスンです。シェア、ワークの時間も予定しています。

【クラス】祈りとしての経済―愛の循環へと転換する12のレッスン

日曜朝クラス(11月23日スタート)残り1名

日曜夜クラス(12月7日スタート)残り3名

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