この一週間、兄弟を通して、インスピレーションの光を与えられ続ける日々を過ごしていました。
そして、今、
プロフィールを書くことについての漠然とした引っかかり
なぜ、ペンネームから本名へと変更したのか?
ということについて、なんだか、ぴったりきそうな感じ・・・があるので、文章にしてみたいと思います。
今まで、プロフィールを書こうとすると、漠然とした引っかかりを感じていました。
あるときまでは「プロフィール代わりに、ブログを書こう」というような感じだったのですが、数年前から「プロフィールを書いてみよう」という思いが何度も浮かんできていたのです。
そして、書いては消し、書いては消し。
わたしの場合、このように、自分でもよくわからないまま、先に「こうする」という感覚が訪れて、そのあとで、自分自身の中から出てくる考えや感覚と向き合い、聖霊の赦しを学び、”兄弟”たちと共に奇跡、癒しを受け取ることへと、導かれる・・・そういうことが、多い気がします。
そして、今朝「プロフィールを書こうとすると感じる漠然とした違和感、引っかかり」について、
「わたしの経歴を、感覚に正直にそのまま書こうとすると、何もない」
「あったとしても”地獄か、天国か”そのどちらかだ」
という思いが浮かんできたのです。
(地獄?の方を書くと)わたしは子供の頃から長い間、闇の中にいるような、そんな感じでした。
内面的にもそうでしたが、「過去の”ただ単に事実”としての体験としての被害体験」、「傷の体験」も関係していたように思います。具体的なことは書かないでおきたいと思っています。
そんなわたしは、10代の頃から、「自分自身と向き合うこと」「治療」そして「癒し」が、人生の中心にありました。
長い時間をかけて、治療を受け、たくさんの人々の助けに恵まれ。
あるときからは「欠けたところを補っていた何か」に光を当ててくださる師たちとの出会いに恵まれ、学び、トレーニングをする機会を受け取り続け、元気が取り戻されていきました。
そんな中で、もしかしたら、同じように心の苦しみや痛みを感じているけれども、癒しを求めるの方の心に、寄り添えるかもしれない、
死がよぎるほど心が苦しいこともあったけど、でも本当は生きたい、のびのびと光の輝きを表現したい、と思っている方に、もしかしたら、何かできることがあるかもしれない
と思ったのでした。
この思いは、何よりも、わたし自身に希望を与えてくれました。
ただ、なんとなく、このことについて、「自分は、おこがましいことを考えている感じがする」という罪悪感や葛藤を持ちつづけていたこともありました。言葉にできなかったから、ということもある気がしています。
それでも、その思いから溢れてくる何かは、ただただ、明るくて、あたたかい、優しい感覚があり、
その感覚は、わたしに勇気と行動力を与え、2018年〜のブログを書く・活動をはじめる、ということにつながったのかもしれない、と思います。
(つづく)