最近、寒くなってきました。
わたしは今、甘酒豆乳にはまっています。
ちょうど最近「甘いものほしい波」がきていました。
そんなとき、「豆乳甘酒っていうのを聞いたことがあるな」と思い出し、
甘酒1:豆乳1をあたためて飲むようになりました。
先日、この甘酒豆乳をあたためていたら、ふきこぼれてしまいました。
「冷めてから洗おう」と放置したまま、しばらくそのままにしてしまいました。
料理するたびに、ふきこぼれたところが目に入るのですが、そのたびに「冷めてから洗おう」ということを繰り返してしまいました。
そうしているうちに、ガスコンロの「まるいところ」がすっかり焦げついてしまいました。
スポンジでも落ちず、インターネットで調べると「重曹で煮ると落ちる」という方法に出会いました。
重曹で煮る → 数時間放置 → こすり洗い
このプロセスを試してみると、煮ている段階から焦げがポロポロと浮かび上がり、
数時間放置した後には、なでるだけで “つるん” と取れました。
重曹で煮る段階で焦げが浮かび上がってきて。
重曹に浸したまま、しばらく、ただ待つ。
「焦げも浮かび上がってるし、もういいじゃん」という声をスルーして、静かに待つ。
ほっとく。
そして、つるんっと剥がれる。(ゴシゴシ不要)
この過程は、まさに「心の痛みや恐れの解放プロセスそのもの」だと思ったのです。
痛みや恐れに直面したとき、一瞬感じても「まあ、いっか」と放置してしまえば、表面上は普通に生活できます。
「なんかモヤモヤする」と思っていても、日常生活はおくれるものです。
けれども、心は繰り返し、同じ気配を見せてきます。
まるで「そろそろ見ませんか?」と静かに知らせるように。
そしていざ向き合おうとしても、
「よくわからない」「どこから手をつけたらいい?」
そんな感覚になることがあります。
それはまさに、焦げとコンロが一体化してしまったような状態。
痛みと自分がくっついてしまって、「これがわたし」と思い込んでしまうときがあるのです。
でも心は、どこかで “違和感” を感じ続けます。
数週間、数ヶ月単位で振り返ったとき、「同じようなことが繰り返されているかもしれない」と気づく瞬間が、
立ち止まるきっかけになります。
もしその都度、痛みをそのまま感じていたら、
焦げつくほど固まらず、自然に流れていったものです。
「では、焦げついてしまったときは、どうしたらいいの?」
ゴシゴシこすらない。
無理に正そうとしない。
“重曹” と “放置” です。
重曹は「内なる錬金術(Inner Alchemy)」。
放置は「自分がなんとかしようとしないこと」。
神聖な存在が癒すままに、心をゆだねること。
なにも起こっていないように見えたとしても、
そこには神聖なる存在によるヒーリングエネルギーが働いているということ。
こうしてはじめて、こびりついていた痛みは、
すっと浮かび上がり、力むことなく、剥がれていきます。
焦げが落ちるときの “するん” という感触は、
心の痛みがほどけるときの感覚に、とてもよく似ています。
焦げつきは失敗ではなく、聖なる癒しへの招待状。
「何度も繰り返されていることに気づく」のは、癒しが静かに働きはじめているしるし。
疲れやプレッシャーを感じるときは、“わたしがなんとかしようとする手” をゆるめる合図です。
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