言動一致という言葉があります。
「自分が言っていることと、行うことを一致させていきましょう」という話を聞いて「自分は言動を一致させるようにがんばっているのに、パートナーが全然言動一致していなくってイライラします。このようなときは、どうしたらいいのでしょうか」というご相談をいただくことがあります。
わたしは「言ってることと、行うことを一致させていこう」とするより、「自分は言っていることと、行うことが一致しているだろうか?」と、自分が自分に問いかける方が、”ほんとうの自由”のために、よりしっくりきている感じがします。
そして、わたしは、今、「言っていることと、行うことの一致」よりも、「言っていることと、感じていることの一致」のほうが、大事な感じがしています。
「相手が一致しているかどうか」じゃなくて「自分が一致しているかどうか?」に焦点を合わます。
「相手が」は外側基準で、「自分は・・・」をみていくのが内側基準への第一歩です。
「自分が言っていることと、感じていることを一致する」
「わたしは、言っていることと、感じていることが一致しているだろうか?」
このことは、わたし自身、とても大事にしつづけていることなのですが、
ご相談くださった方、とくに、人間関係(パートナー、親子、家族など)でお悩みの方に「ちょっと、もしよかったら、試してみてほしい」と言って、試してみてもらったところ、
「驚くほどうまくいくようになりました」「これこれこんなことになって、びっくりです」という、フィードバックをたくさんいただいております。
「驚くほどうまくいくようになりました」「あっさりうまくいきました」「こんなのはじめてです」「こんなに簡単で良かったんですね!」「すごいですね!」「奇跡ですね!!」
というお声をたくさんいただきました。
その「感じることと、言ってることを一致する」ということについて、ブログにも書いてみたいと思います。
簡単です。
ステップをまとめてみます。
(1)まず、目的をはっきりします。すると、安心安全です。「忘れた頃にややこしくなる」みたいなことにならずにすみます。
※ここでは例として「心の平安」を目的にしていきます。
※「相手を信頼させるため」とか「相手を安心させるため」とか「相手を元気付けるため」だと、そのつもりが全然なくても、意図せぬ方向にいっちゃう、図らずもハーメルンの笛吹きおじさんについていっちゃう、みたいになるということがあります。
(2)きめる
(例)私は私の心の平安を望む。〇〇さんとの関係の中でも、心が平安であることを望む。だから、私はこの心の平安のために、自分が感じていることと、言っていることを一致することを望む。
つまり、自分が感じていることと、言っていること(振る舞いや行いなど)が不一致であるときには、立ち止まって、自覚したいと望む。なぜなら、そのように、立ち止まって、自覚できることというのは、奇跡のチャンスであり、すばらしいことだからである。
などなど。
(3)ふつうにいつもどおりに過ごす。
(4)すると、おそらく「自分が感じていることと、言っていること(または、振る舞いや行いなど)が不一致である」ことに、気づく場面があるでしょう。(ここは問題視深刻視する箇所じゃないです笑)
ここで、「わたしが感じていたことはなぁに?」と自分が自分の感じていることに興味関心を持つ。感じる。「そうか〜、そう感じていたのか〜」と感じる。それ以上、自分で何かしようとしない。
(5)「感じていることと、言っていることを一致する」と決めて過ごす。すると、たぶん、自然とそういう感じ、になることが多いのではないかと思います。
「言っていること」だけでなく、振る舞い、行い、滲み出る雰囲気までも、やさしく、自然と、一致してきているかもしれません。自分で自覚がなくても、です。
「勇気を出して、感じていることを、そのまま伝えてみよう」ということもあるかもしれません。
・・・この練習を続ける。
神聖な存在とともに、祈りながらすると、すごくいいです。
このことは、私自身、大事にしていることです。
セッションでもこの話になることが続いて、さらに、とても素敵な体験をお聞きすることが続いて、わたしもまた、「自分の決めつけが間違っていて本当に良かった」と思えるような、関係性においての深い癒しの流れを受け取っていました。
なにか素敵なことがあったら、お話を聞いてみたいです。